すべての若き野郎ども」(原題: All the Young Dudes)は、デヴィッド・ボウイモット・ザ・フープルに提供した楽曲。1972年にシングル・ヒットした。ロック界のスタンダード・ナンバーの1つとして知られ、ロックの殿堂のスタッフや音楽評論家たちが選出した「ロックンロールを形作った楽曲」の500曲の中にも含まれている[6]

すべての若き野郎ども
モット・ザ・フープルシングル
初出アルバム『すべての若き野郎ども
B面 新しき若者たち
リリース
規格 7インチ・シングル
録音 1972年5月14日[3]
オリンピック・スタジオ[3]
ジャンル ロックグラムロック
時間
レーベル CBSレコード
作詞・作曲 デヴィッド・ボウイ
プロデュース デヴィッド・ボウイ
チャート最高順位
  • 3位(イギリス)[4]
  • 37位(アメリカ)[5]
モット・ザ・フープル シングル 年表
ダウンタウン
(1971年)
すべての若き野郎ども
(1972年)
新しき若者たち
(1972年)
ミュージックビデオ
「All the Young Dudes」 - YouTube
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解説 編集

モット・ザ・フープルにとって、CBSレコード移籍第1弾リリースとなったシングルである。イアン・ハンターがリード・ボーカルを担当。バンドは1969年にデビューして以来、シングル・ヒットに恵まれていなかったが、本作で初の全英シングルチャート入りを果たし、最高3位に達した[4]。 またアメリカでも、シングルチャートで37位を記録しており、バンド唯一のアメリカでのヒットとなっている。

本作は、「ティーン(10代)の讃歌」や[7]、「グラムロックの讃歌」であると考えられている[8][9]。このグラムロック・バンドは異性愛者の集まりであるが、「ゲイ(同性愛者)の讃歌」とも考えられている[9][10]ヴェルヴェット・アンダーグラウンドルー・リードもそのように言っている[11]。しかしボウイ自身はかつて、この歌は実際にはよりダークな黙示メッセージを伝えるものであると主張した[3]。ボウイが『ローリング・ストーン』誌で応じたインタビューによると、アルバム『ジギー・スターダスト』収録の歌「5年間」(Five Years)でニュースキャスターが伝えていたニュースと同じニュースを若者たちは伝えている[3]。そのニュースとは、地球滅亡まで5年しか残されていないという事実である。ボウイは次のように説明した[12]

The time is five years to go before the end of the earth. It has been announced that the world will end because of lack of natural resources. Ziggy is in a position where all the kids have access to things that they thought they wanted. The older people have lost all touch with reality and the kids are left on their own to plunder anything. Ziggy was in a rock & roll band and the kids no longer want rock & roll. There's no electricity to play it. Ziggy's adviser tells him to collect news and sing it, 'cause there is no news. So Ziggy does this and there is terrible news. "All the Young Dudes" is a song about this news. It is no hymn to the youth as people thought. It is completely the opposite.


地球が終わるまでの時間は5年間だ。天然資源が枯渇することで世界は終わるだろうとアナウンスされた。ジギーは全てのキッズが望むものを手に入れることができる地位にいる。高齢の人々は現実とのあらゆる接触から逃避し、キッズは何でも略奪することを自己裁量に任された。ジギーはロックンロール・バンドをやっていて、キッズはもはやロックンロールを求めない。それを演奏する電力は無くなっている。ニュースが何も無いため、ジギーのアドバイザーは彼にニュースを集め、それを歌うように言った。だからジギーはそのようにし、恐ろしいニュースが存在している。「すべての若き野郎ども」は、このニュースについての歌だ。それは人々が考えているような若者の讃歌ではない。それは完全に逆だ。

この時期のヨーロッパは、冷戦下にありながらも一体化が進み、西ヨーロッパ石炭鉄鋼経済原子力諸共同体を形成した。1971年に欧州評議会ベートーヴェン歓喜の歌」を欧州の讃歌にするというリヒャルト・N. 栄次郎 "青山" クーデンホーフ=カレルギー伯爵友愛をモットーにする政治活動家で「EUの父」)による提案の採択を決定し、1972年1月より欧州の讃歌が実施された。このような時代背景のもと、1972年3月、モット・ザ・フープルは解散の危機にあった。その危機に「すべての若き野郎ども」を提供したのがデヴィッド・ボウイである。その頃のデヴィッド・ボウイは各地の公演(ジギー・スターダスト・ツアー)でベートーヴェン「歓喜の歌」(Ode to joy)をオープニングに使用した[13][14]。ボウイが公演で使用した「歓喜の歌」は、ジギー・スターダストの重要なファクターである映画『時計じかけのオレンジ』のサウンドトラック(音楽: ウォルター・カルロス)である[15][* 1]。「すべての若き野郎ども」は「音楽の父」バッハが引き合いに出されることがあり[16]、「G線上のアリア」(管弦楽組曲第3番)はその好例である[7]

「すべての若き野郎ども」提供前、ボウイは「サフラジェット・シティ」(Suffragette City)をモット・ザ・フープルにオファーしたが断られた。「すべての若き野郎ども」提供後、ボウイは新たに「ドライヴ・インの土曜日」(Drive-In Saturday)を提供するつもりがあったが、モット・ザ・フープルは「ホナルーチ・ブギ」がヒットしたため提供を断った[3][* 2]

1992年4月20日に行われたフレディ・マーキュリー追悼コンサートにおいて、クイーンのメンバー3人、デヴィッド・ボウイ、イアン・ハンター、ミック・ロンソンデフ・レパードジョー・エリオットとフィル・コリンのコラボレーションとして「すべての若き野郎ども」が演奏された[3]。その模様は、映像作品『フレディ・マーキュリー追悼コンサート』で確認できる。また、ミック・ロンソンの遺作となったアルバム『ヘヴン・アンド・ハル』(1994年)にもジョー・エリオットのリミックスで同音源が収録された[3]

イアン・ハンターは、2001年にリンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドのツアーに参加した際にも「すべての若き野郎ども」を歌っており、その模様はライヴ・アルバム『King Biscuit Flower Hour Presents Ringo & His New All-Starr Band』(2002年発表)にも収録された[17]

モット・ザ・フープルの演奏による「すべての若き野郎ども」は、映画『JUNO/ジュノ』(2007年公開)で使用され、オリジナル・サウンドトラック・アルバムにも収録された[18]

ザ・クラッシュのアルバム『動乱(獣を野に放て)』には、アンサーソング「全ての若きパンクスども」が収録されている。

「日本の『すべての若き野郎ども』を作りたい」という吉井和哉の望みがあり、THE YELLOW MONKEYの「JAM」は制作された[19]。それにより「JAM」は、C - EmonB - Am - ConG - F - G - C -Gというベースの下降が繰り返される[20]

歌詞の「boat race」は、顔(face)のスラング。「television man」は、日本語の翻訳例が「テレビの出演者」か「テレビの修理屋」の2通りある。テレビ出演者の場合「television man」という言い方は一般的ではないが、ニュースキャスターは「television newscaster」、アナウンサーは「television announcer」、コメンテーターは「television commentator」のように「television」の後に出演人物を表わす何らかの言葉が来る。修理屋と翻訳する場合「television repair man(repairman)」という英語が存在し、その省略あるいは適切な翻訳でない可能性もあるが、出演者か修理屋か、「television man」はどちらとも解釈できる曖昧さがある。

参加メンバー 編集

カバー 編集

デヴィッド・ボウイによるセルフ・カバー 編集

1973年のアルバム『アラジン・セイン』でのレコーディング・セッションでセルフ・カバーしたが、当時は発表されなかった。後に、1997年のベスト・アルバム『ザ・ベスト・オブ・デヴィッド・ボウイ 1969-1974』や、2003年の『アラジン・セイン』の30thアニバーサリー・エディションで聴けるようになった。

1973年のツアーではすでに披露しており、7月3日のロンドン公演での模様は、1983年のライヴ・アルバム『ジギー・スターダスト・ザ・モーション・ピクチャー』に収録されている。

1974年のツアーのライブ音源が、同年10月発売の『デヴィッド・ボウイ・ライブ』に収録されている。

モーガン・フィッシャーのプロデュースによる日本人アーティストたち 編集

モット・ザ・フープルのキーボーディスト、モーガン・フィッシャーは、1996年に世界初のモット・ザ・フープルのトリビュート・アルバムコンピレーション)『MOTH POET HOTELA TRIBUTE TO MOTT THE HOOPLE』をプロデュースした。このアルバムの第1曲目が「すべての若き野郎ども」であり、モス・ポエト・オールスターズ(Moth Poet All Stars)がメドレー形式により歌う。モス・ポエト・オールスターズとはモーガン・フィッシャー、吉井和哉甲本ヒロト小暮 "SHÄKE" 武彦レベッカ)、宮沢和史THE BOOM)他によるボーカルメドレー参加者をいう。このトリビュート・アルバムにはザ・イエロー・モンキーザ・ハイロウズザ・イージー・ウォーカーズザ・プライベーツヒートウェイヴ他多数の日本のロックミュージシャン他、クイーンブライアン・メイが参加した(1996年6月5日に武道館で「すべての若き野郎ども」をデヴィッド・ボウイと共演した布袋寅泰[21]の名は、このアルバムのどこにもない)。

ブルース・ディッキンソン (アイアン・メイデン) のソロ作品 編集

すべての若き野郎ども
ブルース・ディッキンソンシングル
初出アルバム『タトゥード・ミリオネア
B面 「ダークネス・ビー・マイ・フレンド」
「シン・シティ」(12インチ・シングル、12cmCDシングルのみ)
リリース
規格 7インチ・シングル
12インチ・シングル
12cmCDシングル
ジャンル ロックヘヴィメタル
時間
レーベル EMI[22]
作詞・作曲 デヴィッド・ボウイ
プロデュース クリス・タンガリーディス
チャート最高順位
  • 23位(イギリス)[23]
ブルース・ディッキンソン シングル 年表
タトゥード・ミリオネア
(1990年)
すべての若き野郎ども
(1990年)
ダイヴ!ダイヴ!ダイヴ!
(1990年)
ミュージックビデオ
Bruce Dickinson - All The Young Dudes - YouTube
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ブルース・ディッキンソンは、アイアン・メイデン在籍時に発表された初のソロ・アルバム『タトゥード・ミリオネア』(1990年)で、この曲をカバーした[3]。同アルバムからの第2弾シングルとしてもリリースされて、全英シングルチャートで5週に渡ってチャート・インを果たす[23]。イントロが2回演奏されるところがモット・ザ・フープル盤と異なる。イントロのギターリフは、最初のコーラス後と終わりのコーラス中においても用いられる。

12インチ・シングルや12cmCDシングルには、AC/DCのカバー「シン・シティ」が追加収録された。

当時ストーム・ソーガソン監修のミュージックビデオ(モノクロ)が制作された。ディッキンソン率いる4人組がトライアンフのバイクにまたがって町中を走り周り、カフェバーに立ち寄るとディッキンソンは「すべての若き野郎ども」を演奏する自分たちの姿を放送するテレビをヒジで突き落とす。「All the young dudes — — —」のリフレインとともに町を練り歩き、人々は深刻な表情で4人を観察する。4人は中が埃だらけの建物に入って演奏し(東アジア系文字が書かれた垂れ幕がよれている)、最後に小さい男の子が潜水艦の模型を掲げる。このビデオは、後にディッキンソンのDVD『Anthology』(2006年)に収録された。シングル盤ジャケットの写真も(アルバム『タトゥード・ミリオネア』のような日本の入れ墨風ジャケットではなく)バイクが採用されている。

ディッキンソンは1987年マリリオンの公演に参加して歌ったのが「すべての若き野郎ども」のカバーの最初の試みである[24]

その他 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ ボウイはこのようなオープニング・ミュージック(pre-show music)を1976年のツアー(Isolar – 1976 Tour)にも実施し、その時はクラフトワークの楽曲「放射能」を使用した[15]
  2. ^ ボウイは「ドライヴ・インの土曜日」をボウイの楽曲としてシングルリリースし、このシングルのB面曲「ラウンド・アンド・ラウンド」は、「ホナルーチ・ブギ」に登場するチャック・ベリーの楽曲「アラウンド・アンド・アラウンド」(1958年)のカバーである。

出典注 編集

  1. ^ 『デヴィッド・ボウイ・ファイル』 2006, p. 63
  2. ^ CBS S 8271 - 45Cat (原盤の画像)
  3. ^ a b c d e f g h Pegg 2016
  4. ^ a b ChartArchive - Mott the Hoople
  5. ^ All the Young Dudes - Mott the Hoople: Awards: AllMusic
  6. ^ Experience The Music: One Hit Wonders and The Songs That Shaped Rock and Roll | The Rock and Roll Hall of Fame - 2012年5月31日閲覧
  7. ^ a b Doggett 2011, p. 153
  8. ^ 500 Greatest Songs of All Time; 253. All the Young Dudes, Mott the Hoople (2004), 256. Mott the Hoople, 'All the Young Dudes' (2010 update)
  9. ^ a b Stephen Thomas Erlewine. “About Mott The Hoople”. MTV. 2016年1月28日閲覧。
  10. ^ Happy 70th Birthday, Ian Hunter! - Speakeasy - WSJ By JIM FUSILLI, Jun 3, 2009. Wall Street Journal. 2016年1月28日閲覧。
  11. ^ Goddard 2013, p. 226: "It's a Gay Anthem! A rallying call to the young dudes to come out in the streets and show that they were beautiful and gay and proud of it."
  12. ^ Copetas, Craig (1974年2月28日). “Beat Godfather Meets Glitter Mainman”. ローリング・ストーン誌. 2017年3月27日閲覧。
  13. ^ http://www.bowie.sakura.ne.jp/features/bootleg/72-73.html
  14. ^ Hendrikse 2013: "Near the end of the Ziggy tour he had had enough of the opening music and replaced it with Beethoven's 'Freude Schöner Götterfunken' ('Ode to Joy')." (on google books)
  15. ^ a b Devereux, Dillane & Power 2015, p. 11
  16. ^ Miller 2010, p. 68
  17. ^ a b 『ロック&ポップス名曲徹底ガイド』 2006, p. 104
  18. ^ Juno - Original Soundtrack: Songs, Reviews, Credits, Awards: AllMusic
  19. ^ THE YELLOW MONKEY ファン選曲ベストアルバム特集 (4/7): さまざまなストーリーを生んだ「JAM」”. ナタリー (2013年7月31日). 2017年3月20日閲覧。
  20. ^ イエモン復活で再注目、吉井和哉楽曲の特徴とは? バンド〜ソロの作風を分析”. Real Sound (2016年1月23日). 2017年4月10日閲覧。
  21. ^ Robert Michael Poole (2012年6月14日). “Rocker Hotei hears London calling”. ジャパンタイムズ. 2017年4月10日閲覧。
  22. ^ Bruce Dickinson - All The Young Dudes at Discogs
  23. ^ a b ChartArchive - Bruce Dickinson - All the Young Dudes
  24. ^ The Mott Archive: BRUCE DICKINSON Archived 2017年4月10日, at the Wayback Machine.

参考文献 編集

外部リンク 編集