つるぎ町立端山小学校

徳島県つるぎ町にあった小学校

つるぎ町立端山小学校(つるぎちょうりつ はばやましょうがっこう)は、徳島県美馬郡つるぎ町貞光字端山にある公立小学校

つるぎ町立端山小学校
過去の名称 端山村端山小学校
貞光町端山小学校
貞光町立端山小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 つるぎ町
設立年月日 1874年明治7年)
共学・別学 男女共学
分校 猿飼分校(1882年(明治15年) - 1991年(平成3年)3月31日休校)
学期 3学期制
所在地 779-4105
徳島県美馬郡つるぎ町貞光字端山
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児童数の減少などの理由で2003年3月31日をもって休校し、同年4月1日に貞光町立貞光小学校(現つるぎ町立貞光小学校)に統合された[1][2]

概要 編集

  • つるぎ町貞光の中心部から南へ約7Km。宮平橋で貞光川を左岸へ渡って左折し、川沿いの狭い道を登っていく。校舎跡は行き止まりの森の中にある[1]
  • 1968年(昭和43年)5月7日、裏山が幅35m、高さ65mにわたって崩れた。被害は教室と講堂の間が大きく、便所と資料室が倒壊した[1]
  • スズカケソウの保護と育成に取り組んでいた[2]
  • スズカケソウの保護と育成の取り組みを貞光町立皆瀬小学校(現つるぎ町立皆瀬小学校)に託した[2]

旧校舎 編集

  • 宮平橋西詰め近くにあった。ベージュ塗装の3棟の木造、2つの木造2階建てが平屋で繋がった形だった。運動場が狭かった[1]

新校舎 編集

  • 白い鉄筋3階建て[1]

基礎データ 編集

全校生徒数
  • ?人
全卒業生数 
  • ?人

沿革 編集

  • 1874年明治7年) - 創立。
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、西端山村・東端山村の区域をもって端山村が発足。
  • 1947年昭和22年)4月1日 - 学制改革により、端山村端山小学校と改称。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 町村合併により、貞光町端山小学校と改称。
  • 1968年(昭和43年)
    • 5月7日 - 裏山の崩壊で、校舎の一部が倒壊した[1]
    • 5月20日~9月27日 - 3台のバス送迎により、貞光中学校旧校舎で疎開授業を受ける[1]
  • 2003年(平成15年)3月31日 - 休校[1]
  • 2005年(平成17年)3月1日 - 町村合併により、つるぎ町立端山小学校と改称。

校訓 編集

交通 編集

最寄駅 編集

最寄バス停 編集

統合先小学校 編集

進学先中学校 編集

猿飼分校 編集

つるぎ町立端山小学校猿飼分校(つるぎちょうりつ はばやましょうがっこう さるかいぶんこう)は、徳島県美馬郡つるぎ町貞光字猿飼にある公立小学校。 児童数の減少などの理由で1991年3月31日をもって休校し、同年4月1日に貞光町立端山小学校(現つるぎ町立貞光小学校)に統合された。[3]

概要 編集

  • つるぎ町貞光の国道438号線土釜トンネル。横にある橋を渡って左岸の斜面を登る。2Km程行くと蕎麦農園近くに桃色に塗られた木造平屋の建物がある。それが校舎である。校庭に桜の木がある[3]

基礎データ 編集

全校生徒数
  • 2人(1990年度(平成2年度)当時)
全卒業生数 
  • ?人

沿革 編集

  • 1882年明治15年) - 創立。
  • 1947年昭和22年)4月1日 - 学制改革により、端山村端山小学校猿飼分校と改称。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 町村合併により、貞光町端山小学校猿飼分校と改称。
  • 1960年(昭和35年) - 粉ミルク給食導入。新校舎完成[3]
  • 1991年(平成3年)3月31日 - 休校。[3]
  • 2005年(平成17年)3月1日 - 町村合併により、つるぎ町立端山小学校猿飼分校と改称。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h 徳島新聞 2015年10月30日付 11面 地域・NIE面 校舎の風景<番外編>
  2. ^ a b c おはようとくしま フレッシュリポート・スズカケソウに託す想い 休校・端山(はばやま)小学校”. 四国放送 (2003年3月17日). 2005年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月26日閲覧。
  3. ^ a b c d 徳島新聞 2015年12月4日付 19面 地域・NIE面 校舎の風景<番外編>

関連項目 編集

外部リンク 編集