アイシングラス (競走馬)

競走馬

アイシングラス (Isinglass) とは、1890年代に活躍したイギリス競走馬種牡馬である。史上6頭目、無敗での達成は2頭目となるイギリスクラシック三冠馬である。アイシングラスの獲得賞金は57,455ポンドにも上り、これは1952年タルヤーに破られるまで半世紀以上破られなかった。馬名の由来は中華食材のアイシングラス(魚鰾膠:チョウザメの鰾から作られるゼリー状成分)より。

アイシングラス
アイシングラス、T.ロータス騎乗
欧字表記 Isinglass
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1890年
死没 1911年12月5日
アイソノミー
デッドロック
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 ハリー・マッカルモント
馬主 ハリー・マッカルモント
調教師 ジェームズ・ジュイット(イギリス
競走成績
生涯成績 12戦11勝
獲得賞金 57,455ポンド
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生涯 編集

現役時代、アイシングラスはそれほど着差を付ける馬ではなく、離して勝ったのも3馬身差での決着が2度あるだけだが、2歳時にはミドルパークプレート、3歳時には2000ギニーダービーステークスセントレジャーステークスクラシック競走、4歳時にはエクリプスステークス、ジョッキークラブステークス、5歳時にはアスコットゴールドカップと当時の主要競走をことごとく制覇し、負けたレースはランカシャープレートの2着だけであった。このためこれほどの賞金を獲得することになったのである。

また、アイシングラスはとてもズブい馬であった。レースでは常に一杯に追う必要があり、調教も多めに必要としていた。このため馬場が使えなかった時には坂路調教で乗り切った話も残っている。体高は16.1ハンド(約164センチメートル)の大型馬であった。

引退後はマッカルモントの元で種牡馬入り、その死後はヴォルデンに供用された。1900年1905年にはイギリス種牡馬順位2位につけたが種牡馬チャンピオンになることは一度もなかった。代表産駒は牝馬二冠を達成したチェリーラス、他に牝馬三冠馬ラフレッシュとの子供で後継種牡馬となったジョンオガウントなどである。

アイシングラスは1911年12月5日にCheveley Park Studで死亡、21歳だった。現在ロンドン自然史博物館に遺骨が展示されている。

競走成績 編集

  • 1892年(3戦3勝) - ミドルパークプレート、ニューステークス
  • 1893年(5戦4勝) - ダービーステークス、セントレジャーステークス、2000ギニー
  • 1894年(3戦3勝) - ジョッキークラブステークス、エクリプスステークス、プリンセスオブウェールズステークス
  • 1895年(1戦1勝) - アスコットゴールドカップ

主な産駒 編集

  • チェリーラス(オークス、1000ギニー)
  • グラスドール(オークス)
  • ルーオヴァ(2000ギニー)
  • ジョンオガウント(2着 - 2000ギニー、ダービーステークス)
  • スターシュート(米種牡馬チャンピオン)

血統表 編集

アイシングラス血統アイソノミー系/Stockwell(Rataplan)4×3=18.75% Birdcatcher(Faugh a Ballagh)4.5.5×5=15.62% Touchstone5×5.5=9.38%) (血統表の出典)

Isonomy
1875 鹿毛
父の父
Sterling
1868 鹿毛
Oxford Birdcatcher
Honey Dear
Whisper Flatcatcher
Silence
父の母
Isola Bella
1868 栗毛
Stockwell The Baron
Pocahontas
Isoline Ethelbert
Bassishaw

Dead-Lock
1878 栗毛
Wenlock
1869 鹿毛
Lord Clifden Newminster
The Slave
Mineral Rataplan
Manganese
母の母
Malpractice
1864 栗毛
Chevalier d'Industrie Orlando
Industry
The Dutchman's Daughter The Flying Dutchman
Red Rose F-No.3-m


外部リンク 編集