アイ・サレンダー

レインボーのアルバム

アイ・サレンダー』(原題:Difficult to Cure)は、1981年に発表されたレインボーアルバム

アイ・サレンダー
レインボースタジオ・アルバム
リリース
録音 1981年
デンマークの旗コペンハーゲン
ジャンル ハードロック
時間
レーベル イギリスの旗日本の旗ポリドール
プロデュース ロジャー・グローヴァー
専門評論家によるレビュー
チャート最高順位
  • 3位(イギリス)[1]
  • 12位(日本)[2]
  • 50位(アメリカ)
  • レインボー アルバム 年表
    ダウン・トゥ・アース
    (1979年)
    アイ・サレンダー
    (1981年)
    闇からの一撃
    (1982年)
    ミュージックビデオ
    「I Surrender」 - YouTube
    「Spotlight Kid」 - YouTube
    「Can't Happen Here」 - YouTube
    「Difficult To Cure」 - YouTube
    テンプレートを表示

    概要 編集

    1980年8月16日にイングランドドニントン・パークで開催された第1回モンスターズ・オブ・ロックに出演したのを最後に、コージー・パウエル(ドラムス)が脱退。レインボーは後任にボビー・ロンディネリを迎えて[注釈 1][3]、9月からコペンハーゲンにあるスウィート・サイレンス・スタジオで本作の制作に取り掛かった[3]。しかし途中でグラハム・ボネット(ボーカル)が脱退したので、彼等は急遽後任のオーディションを行なってジョー・リン・ターナーを選んだ[3][注釈 2]。ターナーはスタジオに急行して、プロデューサー兼任のロジャー・グローヴァーと共に10日間籠ってボーカルの録音を完了した[注釈 3]

    収録曲の9曲のうち6曲がオリジナル。シングル・カットされた「アイ・サレンダー」はラス・バラードの曲で、前作『ダウン・トゥ・アース』の「シンス・ユー・ビーン・ゴーン」に続いて取り上げられた。「マジック」はブライアン・モーランの曲。「治療不可」はベートーベン交響曲第9番の第四楽章『歓喜の歌』を編曲したもの。

    本作は1981年2月に発表。日本では3月に発売され、8月の日本公演の際、ポリドール・レコードからゴールド・ディスクに認定された[3]

    収録曲 編集

    1. アイ・サレンダー I Surrender - 4:10
    2. スポットライト・キッド Spotlight Kid - 5:10
    3. ノー・リリース No Release - 5:42
    4. マジック Magic - 4:15
    5. メイビー・ネクスト・タイム Vielleicht Das Nachste Mal[注釈 4] (Maybe Next Time) - 3:23
    6. キャント・ハプン・ヒア Can't Happen Here - 5:09
    7. フリーダム・ファイター Freedom Fighter - 4:28
    8. ミッドタウン・タネル・ヴィジョン Midtown Tunnel Vision - 4:44
    9. 治療不可 Difficult To Cure - 5:58

    LP盤ではトラック1-5がA面、トラック6-9がB面に収録された。

    メンバー 編集

    その後 編集

    本作発表に伴ったツアーが終了した後、ドン・エイリー (キーボード)が方向性の相違を理由に脱退した。

    カバー 編集

    脚注 編集

    出典 編集

    1. ^ ChartArchive - Rainbow
    2. ^ 『オリコンチャート・ブックLP編(昭和45年‐平成1年)』(オリジナルコンフィデンス/1990年/ISBN 4-87131-025-6)p.318
    3. ^ a b c d シンコーミュージック刊『リッチー・ブラックモア レインボー編』 ISBN 4401612027 より。

    注釈 編集

    1. ^ ロンディネリはレインボーが第一回モンスターズ・オブ・ロックに出演した時には既にパウエルの後任に決まっており、脱退する彼と当日対面している。
    2. ^ オーディションにはターナーの他、クロークスマーク・ストラーチェなどが参加した。
    3. ^ 既に楽曲の多くが録音済みだったので、ターナーは作曲には関与していない。
    4. ^ 発売当初は「Vielleicht Das Nächster Zeit」だった。ドイツ語の文法としては間違い。