アグネス・フォン・ブラウンシュヴァイク

バイエルン公妃

アグネス・フォン・ブラウンシュヴァイクドイツ語:Agnes von Braunschweig, 1201年 - 1267年)は、ライン宮中伯ハインリヒ5世とその最初の妃アグネス・フォン・ホーエンシュタウフェン(ライン宮中伯コンラートの娘)の間の娘。ヴィッテルスバッハ家バイエルン公オットー2世の妃。

アグネス・フォン・ブラウンシュヴァイク
Agnes von Braunschweig
アグネスと夫オットー2世

出生 1201年
死去 1267年
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
バイエルン公領、シェイエルン修道院
配偶者 バイエルン公オットー2世
子女 エリーザベト
ルートヴィヒ2世
ハインリヒ13世
ゾフィー
アグネス
家名 ヴェルフ家
父親 ライン宮中伯ハインリヒ5世
母親 アグネス・フォン・ホーエンシュタウフェン
宗教 キリスト教カトリック
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生涯 編集

アグネスはライン宮中伯ハインリヒ5世の3人の子女のうちの末子である。父の2番目の妃アグネスはヴェッティン家の下ラウジッツ辺境伯コンラート2世の娘であった。アグネスの姉イルメンガルトはバーデン=バーデン辺境伯ヘルマン5世と結婚し、兄はライン宮中伯ハインリヒ6世である。

アグネスは1222年に後にバイエルン公となるオットー2世と結婚した[1]。この結婚によりヴィッテルスバッハ家はライン宮中伯領を継承し、1918年まで同家が保持した。また、この時からバイエルンとライン宮中伯の紋章に獅子が加わった。

1231年にオットー2世の父ルートヴィヒ1世が死去し、夫オットー2世がバイエルン公位を継承し、アグネスはバイエルン公妃となった。

オットー2世は皇帝フリードリヒ2世との対立が終わった後、1241年ホーエンシュタウフェン家の陣営に入った。娘エリーザベトはフリードリヒ2世の息子コンラート4世と結婚したが、このためにオットー2世は教皇より破門された。

オットーは1253年11月29日に死去し、アグネスはその14年後の1267年に死去した。アグネスは夫と同じくシェイエルン修道院に埋葬された。

子女 編集

アグネスとオットー2世は31年間の結婚生活で、5人の子女をもうけた。

脚注 編集

  1. ^ Bumke 1991, p. 483.

参考文献 編集