アシッド・バス(Acid Bath)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州ホーマで結成され、1991年から1997年まで活動していたスラッジ・メタルバンド。ドゥーム・メタルハードコア・パンクデス・メタルゴシック・ロックブルースからの影響を組み合わせ、独自のサウンドを作り上げた[1][2]。バンドのサウンドについて、ボーカルのダックス・リッグスは「デス・ロック」と分類し[3]、ギタリストのサミー・デュエットは「ゴシックハードコア」と表現した[4]。1997年1月にベーシストのオーディ・ピトレが交通事故で死亡し、その後バンドは解散した。

Acid Bath
出身地 アメリカ合衆国 ルイジアナ州 ホーマ
ジャンル スラッジ・メタル, ドゥーム・メタル
活動期間 1991年–1997年
レーベル Rotten Records
共同作業者 Agents of Oblivion英語版, Deadboy & the Elephantmen英語版, Goatwhore英語版, Crowbar英語版, Shrüm
旧メンバー Sammy "Pierre" Duet
Mike Sanchez
Joseph Fontenot
Jimmy Kyle
Audie Pitre英語版
Tommy Viator
Dax Riggs英語版

来歴 編集

アシッド・バスは、ダーク・カーニバル(Dark Karnival)のオーディ・ピトレ、サミー・”ピエール”・デュエット、トミー・ビアターと、ゴルゴタ(Golgotha)のダックス・リッグス 、マイク・サンチェス、ジミー・カイル、ジェリー・”ブーン”・ビジネリが集まり結成された[3]。 途中、ドラマーがビアターからカイルに交代したが、後にビアターはバンドに戻りキーボードを担当した。 また、ジョセフ・J・フォンテノットが短期間ベーシストを務めた。

アシッド・バスは1991年に結成され、ニューオーリンズ南部のホーマ、ティボドー、モーガンシティ、ガリアーノなどのいくつかの小さな町を拠点として活動した[3]スラッシュメタルや、ブラック・サバスアリス・クーパーセルティック・フロストカーカスダークスローンといったバンドやアーティストの影響を受け[3]、1993年にマネージャー兼プロデューサーのキース・ファルグー(Keith Falgout)の下、デモテープ『Hymns of the Needle Freak』を制作した。 このデモがきっかけで、バンドは独立系レーベルであるロッテン・レコーズ(Rotten Records)と契約し、1994年にスパイク・キャシディ(Spike Cassidy)のプロデュースで『When the Kite String Pops英語版』をリリースした。その2年後には2作目となる『Paegan Terrorism Tactics英語版』(ファルグーによるプロデュース)をリリースしたが、これが最後の作品となった[5]。どちらのアルバムもメインストリームにおいて成功を収めることはなかったものの、一部では高い評価を得た。2005年に、デモを収録したアルバム『Demos:1993–1996』がリリースされた。

解散とその後のプロジェクト 編集

1997年1月23日、酔ったドライバーの交通事故に巻き込まれ、ベーシストのピトレが両親と共に死亡し[3]、ピトレの弟ケリー・ピトレが肋骨骨折と軽度の首骨折を負った。ピトレの死をきっかけに、アシッド・バスのキャリアは突如終わりを迎えた。

バンドの解散後、『Killer Rat Poison』というタイトルの新しいアルバムについての噂が流布したものの、その後新しい情報が出ることはなかった[5]。このアルバムのキーボード担当はビアターだった。デュエットは、ブラック・デスメタルバンドのゴートホア英語版(Goatwhore)の初期作品でいくつかのリフを使用するため、数人の親しい友人にのみコピーを配った[5]

ビアターは、有名なデスメタル・ギタリストのジェームズ・マーフィー(James Murphy)が所属するバンド、ディスインカーネイト(Disincarnate) のアルバム『Dreams of the Carrion Kind』で、ドラムを担当した。リッグスとサンチェスは、エージェンツ・オブ・オブリビオン(Agents of Oblivion)を結成して活動を続け、2000年にはアルバム『Agents of Oblivion』をリリースしたが、その後まもなく解散した[5]。リッグスは、2000年からスワンプ・ロックバンドのデッドボーイ・アンド・ジ・エレファントメン(Deadboy&the Elephantmen)のフロントマンとしても活動し[5]、2007年には自身の名義で作品のリリースを始めた。デュエットは一時期クロウバー英語版(Crowbar)に加入していたが[5]、現在はゴートホアとリチュアル・キラー(Ritual Killer)、そしてケリー・ピトレと共にドゥーム・メタルバンドのヴアル(Vual)に所属している。また、デュエットは、アシッド・バス時代から悪魔主義者であることを公言している[3]。ビアターとフォンテノットは、オーディ・ピトレが1995年に結成したシュルム(Shrüm)にも在籍していた。シュルムは、ブラックメタルのボーカルと複数のベースによる重いサウンドを特徴としていた。その後フォンテノットは、ディヴァウアメント(Devourment)で2年間ベースを担当した後、アメリカ陸軍に入隊した。

2014年、カイルが自身のフェイスブック上に「アシッド・バスはボーカルを探しています。アシッド・バスの曲を歌っているMP3やデモ、ビデオ、リンクなどを送ってください」というメッセージを上げ、さらに同じタイミングでスリップノットのボーカルのコリィ・テイラー(Corey Taylor)のフェイスブックに話がしたいという旨のメッセージを送ったことが発端となり[6]、アシッド・バスが新しいボーカルを起用して再結成するという噂が広まった。しかし、この噂についてデュエットは「ピトレなしではアシッド・バスは存在しない。今後新しいアシッド・バス作品が作られることはない」として否定し、「現在、アシッド・バスの残ったメンバー(ジミー、マイク、私)は、アシッド・バスのトリビュートバンドとしてライブを行う可能性を検討しているが、まだ何も決まっておらず単なるアイデアに過ぎない」と述べた[7]

音楽スタイル 編集

アシッド・バスは、デスメタルの影響を受けたスラッジ・メタルに、デスヴォイスとメランコリックなゴス/グランジ系のボーカル、アコースティックギターのフレーズ、そしてサンプリングスポークン・ワードの詩を組み合わせたスタイルで知られる。また、『ブルーベルベットや『時計じかけのオレンジ』などの映画のサウンドクリップもサンプリングに使用された。ボーカルや楽器は加工され、インダストリアルの雰囲気を生み出している(『New Death Sensation』の後半のスネアドラムなど)。曲の構造に組み込まれている複数のテンポ変更も特徴的である。バンドの音楽に関する試みは多岐のジャンルにわたり、『Scream of the Butterfly』は、アコースティックブルースの曲で、曲の終盤に向かってダブル・ベース・ドラムのパターンが用いられている。『The Bones of Baby Dolls』には民俗音楽が取り入れられ、『Dead Girl』はリッグスによればカントリー曲である。

リッグスの歌詞には、死への執着、薬物使用、精神病、ダークユーモア、ルイジアナの文化がしばしば登場すると共に、アニミズム異教崇拝虚無主義、人間不信への言及が繰り返される。彼は、フランク・ミラーアラン・ムーアクライヴ・バーカーなどのコミックに影響を受けたと述べ[3]、またアングラ系雑誌である『ANSWER Me!英語版』や『Boiled Angel英語版』の愛好も表している。 オールミュージックのウィリアム・ヨーク(William York)は、『Venus Blue』について、「過激な歌詞が無ければ」ラジオでヒットしただろうと評している[8]。バンドがメインストリームでの人気を得なかった別の理由としては、2つのアルバムカバーにジョン・ゲイシージャック・ケヴォーキアンの絵画をそれぞれ使用したことが考えられる[3]。『Paegan Terrorism Tactics』はケヴォーキアンの作品『For He is Raised』をめぐる論争を受け、オーストラリアで一時販売禁止となった[9]。また、1994年のEP盤『Radio Edits 1英語版』のカバーには、リチャード・ラミレスの作品が使用され、1996年のコンピレーション盤『Radio Edits 2』のカバーには、ケネス・ビアンキ英語版の作品が使用されている[10]。『Diäb Soulé』(ケイジャン・フランス語で「酔った悪魔」の意)という曲では、人民寺院ジム・ジョーンズのスピーチがサンプリングされている。

メンバー 編集

最終ラインナップ 編集

  • サミー・ピエール・デュエット – ギター、ボーカル(1991–1997)
  • ジミー・カイル – ドラム(1991–1997)
  • オーディ・ピトレ – ベース、バックボーカル(1991–1997)
  • ダックス・リッグス – ボーカル(1991–1997)
  • マイク・サンチェス – ギター、ボーカル(1991–1997)
  • ジョセフ・フォンテノット – ベース(1991–1992、1997)

元メンバー 編集

  • トミー・ビアター – キーボード(1996–1997)

ディスコグラフィー 編集

フルアルバム 編集

デモ 編集

  • Wet Dreams of the Insane (Golgotha demo) (1991)
  • Screams of the Butterfly (1992)
  • Demo II (1993)
  • Hymns of the Needle Freak (1993)
  • Liquid Death Bootleg (1993)
  • Radio Edits 1英語版 (1994)
  • Radio Edits 2 (1996)
  • Paegan Terrorism Tactics Outtakes (1996)
  • Demos: 1993-1996英語版 (2005)

ビデオ 編集

  • "Apocalyptic Sunshine Bootleg" (1994)
  • "Toubabo Koomi" (1994)
  • "Double Live Bootleg!" DVD (2002)

参考文献 編集

  1. ^ "Modern hardcore music scene". Metalhammer magazine No.32.
  2. ^ Mahoney, Steve (March 30, 1995). "Acid Bath's not famous but it is one hot band". jsonline.com, Milwaukee Journal Sentinel.
  3. ^ a b c d e f g h Dax Riggs' Skeletal Circus • Acid Bath • In the Media”. skeletalcircus.com. 2008年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月25日閲覧。
  4. ^ "*FULL* Acid Bath Interview". YouTube.com. User:thelostcollection (Dax Riggs).
  5. ^ a b c d e f Acid Bath Setch's Unofficial Site Archived September 11, 2010, at the Wayback Machine.. DialSpace fan page.
  6. ^ Hartmann, Graham (2014年6月5日). “Acid Bath Attempting to Tap Corey Taylor as New Vocalist?”. Loudwire. 2020年9月25日閲覧。
  7. ^ Hartmann, Graham (2014年6月6日). “Acid Bath Shoot Down Reunion Talk, Contemplate Tribute Tour”. Loudwire. 2020年9月25日閲覧。
  8. ^ "Paegan Terrorism Tactics > Overview". AllMusic.com.
  9. ^ "Acid Bath radio interview on 106.7 The End". YouTube.com. User:thelostcollection (Dax Riggs).
  10. ^ Acid Bath Radio Edits”. Acid Bath Discography. 2012年1月24日閲覧。

外部リンク 編集