アジア的生産様式

マルクス主義における社会の発展段階の1つ。原始共同体と奴隷制の間に存在しうる、古代アジアに見られた史上最初の階級社会および生産形態

アジア的生産様式(アジアてきせいさんようしき、ドイツ語: Asiatische Produktionsweise)とは、マルクス主義における社会の発展段階の1つで、原始共同体奴隷制の間に存在しうる、古代アジアに見られた史上最初の階級社会および生産形態のこと。

概要 編集

カール・マルクス1859年に著した『経済学批判』の序文で、資本主義に先行する階級社会として、奴隷制封建制に並べて「アジア的生産様式」を挙げた。しかしながら、「アジア的生産様式」についてはこの序文にも、論文本文にも説明がなかった。このため、「アジア的生産様式」が何を意味するのかについて歴史学会、経済学会において様々な論争がおこなわれた。

アジア社会に特有な歴史段階であり、唯物史観(発展段階説)とは異なる進歩が止まった独特な社会構成であるとする解釈、「原始共産制社会」の別名であるとする解釈、アジア的封建制であるとする解釈などが存在した。[1]その結果、「古代奴隷制の一類型(アジア的変種)」という解釈が有力となった。[要出典]

ところが、1939年ソ連で発表されたマルクスの遺稿『資本制生産に先行する諸形態』が公刊され、マルクスの考えていたアジア的生産様式の内容が具体的な形で明らかになった。『資本制生産に先行する諸形態』のなかでマルクスは、アジア的生産様式は、古代的・封建的生産様式とは異なって、アジア的土地所有においては共同体の所有はあっても個人の所有はなく、個人は共同体成員としてそれを保有しているにすぎない、としている。これは、個人が土地(耕地)を分配されるのみの存在であって、共同体から自立できないことを示しており、これは原始共同体の社会構成とも異なることを示した。また、マルクスは、このような機能を国家的規模で独占管理し、共同体の生産と労働を貢納制度によって収奪しているのが専制君主であると指摘した[2][3]

以上によりマルクス主義では、アジア的生産様式とは「原始共同体の解体によって発生した最初の階級社会」と位置づけられた。この生産様式は古代中国インドにとどまらず、エジプトメソポタミアなどの各古代専制国家、そして律令体制以前の日本にも存在したとされている。[要出典]

旧日本軍の「大東亜共栄圏」への援用 編集

歴史学者の福本勝清によると、この説は旧日本軍が唱えた「大東亜共栄圏」の理論にも援用されていたという。すなわち、「アジア諸国はアジア的生産様式のもと、ずっと停滞し続けている(アジア的停滞)。それを打破できるのは、日露戦争で史上始めてアジア人として白人に打ち勝った我々日本人だ。だからアジアを目覚めさせることが出来るのは日本人だけだ」というのである。いささか都合の良い換骨奪胎であった。[4]

アジア的生産様式の各国別の議論 編集

マルクスの問題提起を受けてアジアの歴史学者たちはそれぞれ議論を展開したが、まず問題になったのは「この説がアジア全域に適用されるのか?」ということであった。マルクスの分析した国は主として下部構造の詳細なデータがあった英領インドであり、マルクスの手元にあった日本や中国に対する史料はさほどではなかったとされている。このことを受けて様々な議論が出たが、日本の歴史学者石母田正は「アジアと言っても各国別に状況が異なっている。この説はアジア全域には適用できない。中国やインドでは顕著だが、日本やモンゴルでは古代の時点でアジア的生産様式を脱し、普遍的な発展段階説に合流した」と論じた。これを「日中分岐論」という。 石母田によれば、日本では古代末期(平安時代末期)に武士が発生したことにより領主制が進展し、封建制の段階に入って古代奴隷制を脱却したという。石母田は百尺竿頭更に一歩を進め、アジア的生産様式論が粗雑だったために問題が生じたとさえ述べた。「(前述のように、大東亜共栄圏のような)帝国主義にアジア的生産様式論争は利用されてしまっており、自己の無気力の正当化、西欧へのいわれのない賛美、アジア諸国への蔑視につながっている」とさえ述べている。[5] 実際、前述の「大東亜共栄圏」への援用がなされた「アジア的生産様式」の説は、現在は大日本帝国時代を正当化する日本や台湾の右翼知識人の間では生き続けており、「日本は植民地化することでアジア的停滞の中にあった韓国を目覚めさせた恩人であり、それに因縁をつけてくるのはおかしい」というような、「アジア的生産様式」を使って日本を持ち上げ他のアジア諸国を貶めるような形での主張が今でも行われている。[6]なお、韓国においては上記のような「日本が韓国を発展させてあげた」という主張はあまり受け入れられていない。桃山学院大学教授の松村昌廣は、これには下記のような背景があるとしている。

  • 韓国は朝鮮戦争の記憶が大きく、戦後韓国の復興、いわゆる「漢江の奇跡」を主導したのは米国であり、現代韓国社会は日本人が考えているほど日本の影響を受けず、米国の影響が大きいこと。
  • 韓国では軍事政権による圧政が続いたが、この軍事政権、例えば朴正熙は日本統治時代に頭角を現した人であり、日本統治時代が軍事政権と合わせて忌避されてしまっていること。[7]


「東洋的専制主義」をめぐって 編集

中国学者カール・ウィットフォーゲルは1957年、社会主義国をアジア的生産様式に基いている東洋的専制主義であると批判し、「ソ連はロシア帝国のツァーリと同じではないか」「アジアは革命を経てもまた専制的である」と論じた。[8]。「東洋的専制主義」は特に中国の歴代王朝で顕著だったもので、皇帝がすべての人民を奴隷として搾取する仕組みである。その仕組が今のソ連や中国共産党などでも引き続き行われているというのが彼の主張であった。

中国歴代王朝に於いて、皇帝は完全なる独裁者であり、ごく一部の名君を除くと人民に対する収奪はかなり極端なものであった。例えば白居易が皇帝を諫言した「新楽府」には「炭売の貧しい老人から、勅命だと言って皇帝の近臣が売り物を全て奪い取り、代価としてほとんど二束三文の布を与えて恩賜と言い放つ」という収奪の有様が述べられている。[9]中国共産党は「人民中国」などと言っていかにも民衆本位のような顔をしているが、実際には歴代王朝の搾取と大差ないものだというのである。ウィットフォーゲルの説に影響を受けた歴史学者の岡田英弘は、「中国歴代王朝は一つの巨大な資本、総合商社のようなもので、皇帝は中国最大の資本家であった。」と論じた。岡田によれば、中国の皇帝は公設市場の売買と経営、官営工場の経営、民衆への貸金業、海外貿易業、塩や鉄の専売などの事業を行い多額の利潤があり、国家財政・宮廷財政の区別も存在していなかったという。[10]

幼少の君主が続き宦官・外戚のような皇帝の側近たちが権勢を振るった後漢王朝などの例外を除けば、歴代王朝における皇帝権力は極端に強いものであり、科挙に合格した高級官僚とても皇帝の奴隷に過ぎなかった。皇帝は上表文の文字が間違っていたり、字が下手だったりしただけで「墨汁を飲め」と官僚に命じることが出来、[11]皇帝のおまる、痰壷を持って終日側に立つ官僚さえもいた。上表文に対して皇帝はパワハラ的な罵倒をすることが出来、上表文の文字が気に入らなければ官僚を処刑することも出来た。例えば明の太祖朱元璋は元々貧しい僧侶だったため、「光」「日」など坊主頭をいう隠語が上表文にはいっていることを極端に嫌い、この二字を使った官吏を「朕を馬鹿にしている」と即座に切り捨てたという。[12]このような上表文の些細な文字にこだわり官吏を虐待した皇帝は明の太祖に留まらず、国語学者の笹原宏之の研究によれば太祖の孫の永楽帝や、清の道光帝などもかなりひどいものであったという。道光帝は官吏に好きなように話させないよう、上表文の些細な誤字脱字をあげつらったと伝えられている。[13]このような状況では、官吏は上表文の内容より、きれいな字で書かれていて皇帝の機嫌を損ねないことに腐心するようになってしまい、政策以前の問題で「何もしないほうが良い」ということとなってしまったため、中国の停滞は一層酷いものになってしまった。知識人の中にはそれを憂え、清の龔自珍のように変革を訴えたものもいたが、ほとんど清滅亡まで皇帝のご機嫌取りが続いてしまった。[14]

このウィットフォーゲルの主張及び岡田らの研究は、中国を研究していたジョゼフ・ニーダムなどのマルクス主義者からは忌み嫌われ、この説を説明した歴史学者の福本勝清によれば、昭和の頃のマルクス主義者にこの話をすると、「中国の悪口をいうべきではない」とひどく嫌がられたという。[15]

関連項目 編集

編集

  1. ^ 五井直弘「アジア的生産様式」、日本大百科全書(ニッポニカ)
  2. ^ Marshall, Gordon (1998), "Asiatic mode of production", A Dictionary of Sociology,
  3. ^ Lewis, Martin; Wigen, Kären (1997), The Myth of Continents: A Critique of Metageography, Berkeley: University of California Press, p. 94, ISBN 978-0-520-20743-1.
  4. ^ 福本勝清「石母田正とアジア的生産様式論(上)」明治大学教養論集 556号、2021
  5. ^ 福本勝清「石母田正とアジア的生産様式論(上)」明治大学教養論集 556号、2021
  6. ^ 例えば台湾人作家の黄文雄は『韓国は日本人がつくった 朝鮮総督府の隠された真実』徳間書店2020において、李氏朝鮮は当時破産状態にあり、それを日本が目覚めさせることで救ったという主張を展開した。
  7. ^ 松村昌廣「なぜ韓国は反日なのか : 日韓関係と日台関係の比較の視点から」桃山学院大学経済経営論集 60 (1), 17-45, 2018-07-30
  8. ^ Wittfogel, Karl (1957), Oriental Despotism; A Comparative Study of Total Power, New Haven: Yale University Press.前文の日本語訳は石井知章「K.A.ウィットフォーゲル『東洋的専制主義』(1981年:ヴィンテージ版)の「前文」への解題とその全文訳」明治大学教養論集刊行会、2014及び楊海英「まえがき:交感・コラボレーション・忘却・歴史 :汝はアジアをどのように語るか(交感するアジアと日本)」静岡大学学術リポジトリ、2015に依拠した。
  9. ^ 桑原武夫「白楽天の新楽府について」『新唐詩選続編』岩波新書、1954所収。諫官の職にあった白居易(白楽天)は「新楽府」五十首を時の皇帝に奉って皇帝の近臣の横暴などを告発した。
  10. ^ 岡田英弘『読む年表 中国の歴史』P54「郡県制度と商業都市ネットワークの構築」WAC、2015
  11. ^ 笹原宏之『謎の漢字』中公新書、p147-p148
  12. ^ 趙翼『二十二史箚記』巻三十二「明初文字之禍」には朱元璋に斬り殺された官吏の名が十数名続く。趙翼は朱元璋は余り字を知らなかったので誤って斬り殺した人も少なくなかったとしている。簡単な紹介は高島俊男『中国の大盗賊・完全版』講談社現代新書にもある。
  13. ^ 笹原宏之『謎の漢字』中公新書、p180,p195
  14. ^ 笹原宏之『謎の漢字』中公新書、p185-p186
  15. ^ 福本の説明については唯物史観の項に詳細がある。出典は福本勝清「導論 -アジア的生産様式」『明治大学教養論集:福本勝清名誉教授退職記念号』明治大学教養論集刊行会、2019

外部リンク 編集