アストゥリアス王国
Reinu d'Asturies
西ゴート王国 718年[1] - 924年 レオン王国
ガリシア王国
ポルトゥカーレ伯領
アストゥリアス王国の国旗 アストゥリアス王国の国章
(国旗) (国章)
国の標語: Hoc Signo Tuetur Pius, Hoc Signo Vincitur Inimicus
アストゥリアス王国の位置
アストゥリアス王国の位置(814年)
言語 アストゥリアス語ラテン語俗ラテン語
宗教 キリスト教
首都 カンガス・デ・オニスラングレーオプラビアオビエド
国王
718年 - 737年 ペラーヨ
910年 - 924年フルエーラ2世
変遷
コバドンガの戦い 718年
世襲君主制導入842年
レオン王国へ発展のため消滅925年
現在スペインの旗 スペイン
ポルトガルの旗 ポルトガル

アストゥリアス王国(アストゥリアスおうこく、アストゥリアス語: Reinu d'Asturiesスペイン語: Reino de Asturiasラテン語: Asturorum Regnum)は、イベリア半島にかつて存在した王国である。

ペラーヨの像

歴史 編集

711年グアダレーテ河畔の戦いでイベリア半島をイスラーム勢力(ウマイヤ朝)が征服し、西ゴート王国が滅亡した。この際、イスラームへの抵抗を続けた西ゴート王国の貴族ペラーヨは、イベリア半島北西部にまで逃れ、在地のアストゥリアス人勢力と結んで、アストゥリアス王国を建国した。イスラーム勢力の攻撃を受けるが、722年コバドンガの戦いで勝利して独立を保つと、カンガス・デ・オニスを都として支配を固めた。

アルフォンソ2世の時代にガリシア地方へと版図を拡大し、聖ヤコブ守護聖人とするサンティアゴ大聖堂を設けた。また、カンガス・デ・オニスに代わりオビエドを支配の拠点とした。この頃より、イスラーム勢力に対する反撃が進められた。

ガルシア1世の時代に、都はオビエドからレオンへと遷された。これ以降の王国はレオン王国と称される。

脚注 編集

  1. ^ Collins, Roger (1989). The Arab Conquest of Spain 710–797. Oxford, UK; Cambridge, Mass.: Blackwell. p. 49. ISBN 0-631-19405-3.

参考文献 編集

関連項目 編集