アドルフ・ミュラー2世ドイツ語: Adolf Müller II.1839年10月15日 - 1901年12月14日)は、オーストリア音楽家

アドルフ・ミュラー2世
Adolf Müller II.
基本情報
生誕 1839年10月15日
出身地 オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン
死没 (1901-12-14) 1901年12月14日(62歳没)
オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国ウィーン
ジャンル オペレッタなど
職業 作曲家指揮者

概要 編集

アン・デア・ウィーン劇場の楽長ならびに劇場作曲家であったアドルフ・ミュラー1世の息子として誕生[1]。父と同じ道を進み、1883年にアン・デア・ウィーン劇場の楽長に就任[1]。民衆劇を含む多くの劇に音楽を提供し、またオペレッタの作曲も手掛けた[1]

ヨハン・シュトラウス2世の未完のオペレッタ『ウィーン気質』を補筆した人物として知られる[1]

作品 編集

  • 『はなむけに』(Mit auf den Weg)特定の形式によらないピアノ曲

出典 編集

  1. ^ a b c d 若宮 2013, p. 171.

参考文献 編集

  • 若宮由美「博覧会的なピアノ曲集としての"Aus der Musikstadt"(1892)」『埼玉学園大学紀要. 人間学部篇』第13号、埼玉学園大学、2013年12月、167-179頁、ISSN 1347-0515NAID 120005772404