アフシャール朝
افشاریان (ペルシア語)
サファヴィー朝 1736年 - 1796年 ガージャール朝
ザンド朝
イランの国旗 イランの国章
国旗国章
イランの位置
公用語 アフシャール語英語版宮廷語)
ペルシア語
首都 マシュハド
シャー
1736年 - 1747年 ナーディル・シャー(初代)
1747年 - 1748年アーディル・シャー(第2代)
1748年 - 1748年イブラーヒーム(第3代)
1748年 - 1750年シャー・ルフ(第4代)
1750年 - 1750年スライマーン2世(第5代)
1750年 - 1796年シャー・ルフ(復位、最後)
変遷
成立 1736年
滅亡1796年

アフシャール朝ペルシア語: افشاریان‎、アフシャーリヤーン)は、イランペルシア)の王朝で、首都マシュハドナーディル・クリー・ベグによって建てられた。

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歴史 編集

初代・ナーディルの勢力拡大 編集

ナーディル・クリー・ベグ(ナーディル・シャー)は、サファヴィー朝アッバース3世摂政として、ホータキー朝オスマン朝を破って、旧サファヴィー朝が失った領土のほとんどを回復し、一時ペルシアの覇権を握った。1736年にサファヴィー朝のアッバース3世を退位させ、ナーディル・シャーとして即位した。ナーディル・シャーはバルーチスターンへ侵攻し、カルホラ英語版を占領した。晩年になるとナーディルは息子を盲目にしたり、甥の息子ら親族を大量に殺したり、市民や役人を殺戮したりした。この反動により、1747年に部下の兵士らによって暗殺された。

衰退・抗争期 編集

 
ナーディル・シャー暗殺直後(1747年12月ごろ)のイラン

ナーディルの死後、跡を継いだのは暗殺に一枚噛んでいたとされるアーディル・シャーであった。彼はナーディルの直系親族を一部を例外として殺戮したが、弟のイブラーヒームに背かれて廃された。だが、イブラーヒームも有力者の支持を得られず、すぐに廃された。

2人に代わって擁立されたのが、ナーディルの嫡孫であるシャー・ルフである。しかし1750年、シャー・ルフは有力者によって退位させられ、サファヴィー朝の末裔とされるスライマーン2世が傀儡として即位した。しかしすぐに亡き祖父ナーディルの旧臣らが反乱を起こしてシャー・ルフは復位した。

滅亡 編集

以後のシャー・ルフは有力者の傀儡として利用された。そして1796年アーガー・モハンマド・シャーマシュハドを占領することでアフシャール朝は滅亡し、カージャール朝に取って代わられた。

歴代君主 編集

  1. ナーディル・シャー1736年 - 1747年
  2. アーディル・シャー1747年 - 1748年
  3. イブラーヒーム1748年
  4. シャー・ルフ1748年 - 1750年
  5. スライマーン2世 (1750年)
  6. シャー・ルフ (1750年 - 1796年、復位)

系図 編集

 
 
 
 
 
バーバ・アリー・ベク
アビーワルド地方長官
 
 
 
 
 
 
 
イマーム・クリー・ベグ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サファヴィー朝
 
 
ナーディル・シャー1
 
 
ムハンマド・イブラーヒーム・ハーン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ファーティマ・スルターン・ベーグム
スルターン・フサインの娘)
 
 
 
レザー・クリー・ミールザー
 
 
 
 
 
アーディル・シャー2
 
イブラーヒーム3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
シャー・ルフ4,6