アフマド・ハン (ジョチ家)

大オルダのハン

アフマド・ハン・ビン・クチュクペルシア語: احمد خان بن کوچک‎、1460年以前 - 1481年1月[1]6日 サライ)は、ジョチ・ウルス最後の政権である大オルダのハン(在位:1465年 - 1481年)。大オルダのハンであるクチュク・ムハンマドの息子。

概要 編集

1465年、兄のマフムード・ハン(1459年より大オルダのハン)に反乱を起こして権力を奪取した。

1472年、ポーランドカジミェシュ4世と同盟してモスクワ大公イヴァン3世に対抗、さらに1476年にはイヴァン3世の封臣の地位を承認させようとしたが、ロシアとの力関係がすでに逆転していた。

1480年、モスクワ大公国への軍事遠征を起こしたが、モスクワから150マイルのところでウグラ河畔の対峙を起こした。両軍とも数週間の間敵を挑発したが結局戦闘は起こらず、アフマド・ハンは撤退した。これにより、イヴァン3世はタタールのくびきから脱した。

1481年1月6日、シビル・ハン国イバク・ハン英語版により殺害された[2]

脚注 編集

  1. ^ Kołodziejczyk, Dariusz (2011). The Crimean Khanate and Poland-Lithuania: International Diplomacy on the European Periphery (15th-18th Century): A Study of Peace Treaties Followed by Annotated Documents. Leiden: Brill. p. 24. ISBN 9789004191907. http://www.brill.com/crimean-khanate-and-poland-lithuania 
  2. ^ Howorth 1880, p. 326.

参考文献 編集

アフマド・ハン (ジョチ家)

生年不明 - 1481年

先代
マフムード・ビン・キュチュク
大オルダのハン
1465年 - 1481年
次代
サイイド・アフマド