アレクサンドル・ドルゴポロフ

アレクサンドル・オレクサンドロヴィチ・ドルゴポロフAlexandr Oleksandrovych Dolgopolov , ウクライナ語: Олександр Олександрович Долгополов, 1988年11月7日 - )は、ウクライナキエフ出身の元男子プロテニス選手。2011年BNPパリバ・オープン男子ダブルス優勝。2011年全豪オープン男子シングルスでベスト8。これまでにATPツアーでシングルス3勝、ダブルス1勝を挙げている。

アレクサンドル・ドルゴポロフ
Alexandr Dolgopolov
2016年全米オープンでのアレクサンドル・ドルゴポロフ
基本情報
フルネーム Alexandr Oleksandrovych Dolgopolov
愛称 ドッグ(Dog)、ドルゴ(Dolgo)
国籍  ウクライナ
出身地 同・キエフ
居住地 モナコの旗 モナコモンテカルロ
生年月日 (1988-11-07) 1988年11月7日(35歳)
身長 180cm
体重 71kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2006年
引退年 2021年
ツアー通算 4勝
シングルス 3勝
ダブルス 1勝
シングルス 221勝201敗
ダブルス 27勝57敗
生涯獲得賞金 7,125,771ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(2011)
全仏 3回戦(2010・11)
全英 3回戦(2013・14)
全米 4回戦(2011・17)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(2011・14)
全仏 2回戦(2010-12)
全英 1回戦(2010・16)
全米 1回戦(2010-13・16)
国別対抗戦最高成績
ホップマン杯 準優勝(2016)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 13位(2012年1月16日)
ダブルス 42位(2012年1月9日)
2022年3月17日現在

自己最高ランキングはシングルス13位、ダブルス42位。身長180cm、体重71kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

旧名はオレクサンドル・ドルゴポロフ・ジュニア(Oleksandr Dolgopolov Jr.)で2010年5月に現在の名前に改名した。

選手経歴 編集

ジュニア時代 編集

アンドレイ・メドベデフのコーチだった父のオレクサンドル・ドルゴポロフの手ほどきで3歳からテニスを始める。母のエレナは体操競技の選手で欧州選手権で金メダルと銀メダルを獲得したことがある。

2006年 プロ転向 編集

2006年にプロに転向。

2007年 グランドスラム参戦 編集

2007年全豪オープンから4大大会の予選に挑戦を始める。

2010年 グランドスラム初勝利 編集

2010年全仏オープンで本戦初出場を果たし、1回戦でアルノー・クレマンを3-6, 7-6(5), 3-6, 6-3, 6-3で、2回戦でフェルナンド・ゴンサレスを6-3, 6-4, 6-3で破り3回戦に進出した。

2011年 全豪ベスト8 ツアー初優勝 マスターズダブルス初優勝 編集

2011年全豪オープンでは本戦初出場ながら快進撃を続け、3回戦で第13シードのジョー=ウィルフリード・ツォンガを3-6, 6-3, 3-6, 6-1, 6-1で、4回戦で第4シードのロビン・セーデリングを1-6, 6-3, 6-1, 4-6, 6-2で破りベスト8に進出する。準々決勝では第5シードのアンディ・マリーに5-7, 3-6, 7-6(3), 3-6で敗れた。

2月のブラジル・オープンではツアー初の決勝に進出。ニコラス・アルマグロに3-6, 6-7(3)で敗れて準優勝となった。メキシコ・オープンでもベスト4に進出した。

3月のBNPパリバ・オープンではグザビエ・マリスと組み北京五輪金メダルのロジャー・フェデラー&スタニスラス・ワウリンカ組を、6-4, 6-7(5), [10-7]で破りツアー初のダブルスのタイトルを獲得した。

7月のクロアチア・オープンではシングルス決勝で地元のマリン・チリッチを6-4, 3-6, 6-3で破り、シングルス初優勝を果たした。

2012年 ツアー2勝目 編集

2012年8月のシティ・オープンでは決勝でトミー・ハースを6–7(7), 6–4, 6–1で破りツアー2勝目を挙げた。

2014年 マスターズベスト4 編集

2014年2月のリオ・オープンでは決勝でラファエル・ナダルに敗れたが、3月のBNPパリバ・オープンでは3回戦でラファエル・ナダルを6-3, 3-6, 7-6(5)で破り世界ランキング1位に初めて勝利し、ベスト4に進出した。マイアミ・オープンでは世界3位のスタン・ワウリンカを破りベスト8進出。

2015年 マスターズベスト4 編集

2015年1月、ブリスベン国際錦織圭とダブルスを組んで出場。準優勝を飾る。 2015年8月のシンシナティ・マスターズでは第4シードの錦織圭が大会直前に欠場したため、予選通過者の中から抽選で選ばれたドルゴポロフが錦織の第4シードの枠に入った。そしてバーナード・トミックイェジ・ヤノヴィッツ、第6シードのトマーシュ・ベルディハに勝利し準決勝進出、準決勝では第1シードのノバク・ジョコビッチに敗れるも第1セットを取る健闘を見せた。

2016年 ホップマン杯準優勝 編集

2016年のホップマンカップでは同国のエリナ・スビトリナと組んでウクライナ代表として出場。オーストラリア代表との決勝戦ではニック・キリオス組みに3–6, 4–6で敗れた。

その後、2016年ウィンブルドン選手権に出場。苦戦の末に1回戦でロシアのエフゲニー・ドンスコイを破り、2回戦でダニエル・エバンスにストレートで敗れた。シティ・オープンに第11シード出場。2回戦でオーストラリアの若手ジョーダン・トンプソンと対戦し、勝利。3回戦でサム・クエリーにストレートで敗れた。ロジャーズ・カップにも出場し、1回戦でドナルド・ヤングに敗れた。不調の一年間となり、最終ランキングは62位。

2017年 ツアー3勝目 編集

2017年2月のアルゼンチン・オープンでは3年ぶりにツアー決勝進出。決勝では錦織圭に7-6(4), 6-4で勝利し、5年ぶりのツアー優勝を果たした[1]

2018年 手首の手術 編集

2018年はBNLイタリア国際を最後に手首の怪我により欠場した。2019年5月22日に自身のSNSで復帰について言及した[2]

2021年 引退 編集

2021年5月1日に現役を引退を発表。「人生全てをかけた素晴らしい道のりだった。みんなが僕のプレーで楽しんでくれたことを祈っている。僕自身、自分のテニスはとても面白かった。記録などは破ることができなかったけど、ファンが楽しめればそれでいい。3年前の全豪オープンの練習中に手首を痛めた。その時は大きなけがにはならないと思っていたけど、まさかそれでキャリアを終えることになるとは考えもしなかった。数年間挑戦して2度の手術を行ったけど、痛みは消えなかった」とこれまでの経緯を明かし、正式に引退した。

2022年 防衛参加 編集

引退後はビジネスを営みながら休息をしていたが2022年ロシアのウクライナ侵攻により、母国ウクライナのために防衛参加を決めた。SNSには「かつてはラケットとストリング、今はこれ」と防弾ジャッキや手榴弾の写った写真を投稿して、戦争の現状を述べた。

プレースタイル 編集

超攻撃的なベースライナーである。角ばったフォームから繰り出される強烈なフラットショットを主体としたストロークでライジングショットを得意としてベースラインから下がらないプレーが特徴。フォアハンドは強烈なフラットショットやチップさせるスライス、バックハンドはフラットショットと強烈に擦ったことでよく滑るスライスショット、ドロップショットを駆使する。特に奇怪なモーションから放たれる曲がるスライスでのチェンジオブペース、突然放たれるドロップショットがトレードマーク。

活躍が始まった当初から、かつてATPツアーで異彩を放ったファブリス・サントロをして「マジシャン」と称される。

サーブは脚をバネのように上手く使い、低いトスからクイックモーションで放つ。そのスピードは200km/hを超えることがあり、エースを連発する。サーブもストローク同様、威力とスピードがあり、相手が全く反応できずに決まってしまうほどの威力がある。ネットプレーも上手く、隙あればボレーや強烈なスマッシュを叩き込む。

得意なサーフェスはプレースタイルからハードコートが得意だが、クレーコートでも成績を残している。

弱点としてはそのハードなプレースタイル故に怪我が多く、治療のためにツアーを離れることが多いこと。他には劣勢になったときや不調のときのメンタル面での弱さも見受けられる。

錦織圭とはジュニア時代から仲が良く、2015年にはブリズベン国際にてダブルスで出場し準優勝を飾る。

ユーモアのある人柄で選手間でも非常に人気があった。

使用ツール 編集

ラケットは2014年版のウィルソンのProStaff97を愛用し続けている。グリップテープやラケットバック、振動止めなどのラケット関係はウィルソン統一だが、ストリングは縦横ともにルキシオンの4Gを使用している。テンションは不明。

シューズウェアと同じメーカーを使用しており、アディダスホマディアドラとドルゴポロフのスポンサー契約の状況によって異なる。

ATPツアー決勝進出結果 編集

シングルス: 9回 (3勝6敗) 編集

大会グレード
グランドスラム (0-0)
ATPワールドツアー・ファイナル (0-0)
ATPワールドツアー・マスターズ1000 (0-0)
ATPワールドツアー・500シリーズ (1–2)
ATPワールドツアー・250シリーズ (2–4)
サーフェス別タイトル
ハード (1–3)
クレー (2–3)
芝 (0-0)
カーペット (0-0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2011年2月12日   コスタ・ド・サイペ クレー   ニコラス・アルマグロ 3-6, 6-7(3)
優勝 1. 2011年7月31日   ウマグ クレー   マリン・チリッチ 6-4, 3-6, 6-3
準優勝 2. 2012年1月8日   ブリスベン ハード   アンディ・マリー 1-6, 3-6
優勝 2. 2012年8月5日   ワシントンD.C. ハード   トミー・ハース 6–7(7), 6–4, 6–1
準優勝 3. 2012年10月28日   バレンシア ハード (室内)   ダビド・フェレール 1-6, 6-3, 4-6
準優勝 4. 2014年2月23日   リオデジャネイロ クレー   ラファエル・ナダル 3-6, 6-7(3)
優勝 3. 2017年2月19日   ブエノスアイレス クレー   錦織圭 6-4, 7-6(4)
準優勝 5 2017年7月23日   ボースタード クレー   ダビド・フェレール 4–6, 4–6
準優勝 6. 2017年10月1日   深圳 ハード   ダビド・ゴフィン 4–6, 7–6(5), 3–6

ダブルス: 2回 (1勝1敗) 編集

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 2011年3月18日   インディアンウェルズ ハード   グザビエ・マリス   ロジャー・フェデラー
  スタニスラス・ワウリンカ
6–4, 6–7(5), [10–7]
準優勝 1. 2015年1月10日   ブリスベン ハード   錦織圭   ジェイミー・マリー
  ジョン・ピアース
3-6、6-7(4)

ホップマンカップ: 1回 (1敗) 編集

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2016年1月9日 ホップマンカップ2016 ハード   エリナ・スビトリナ   ダリア・ガブリロワ
  ニック・キリオス
0–2

シングルス成績 編集

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 通算成績
全豪オープン LQ LQ LQ LQ QF 3R 1R 2R 1R 2R 2R 3R 11–8
全仏オープン LQ LQ A 3R 3R 1R 1R 2R 1R A 2R A 6–7
ウィンブルドン A A A 2R 1R 2R 3R 3R 2R 2R 1R A 8–8
全米オープン A A A 1R 4R 3R 2R A 1R 1R 4R A 9–7

大会最高成績 編集

大会 成績
ATPファイナルズ A 出場なし
インディアンウェルズ SF 2014
マイアミ QF 2014
モンテカルロ 4R 2012
マドリード QF 2012
ローマ 3R 2013
カナダ 3R 2010
シンシナティ SF 2015
上海 QF 2011
パリ 3R 2011
オリンピック A 出場なし
デビスカップ PO 2013

脚注 編集

  1. ^ ドルゴポロフ、錦織倒し5年ぶりVに笑顔「やっと勝てた。完璧な1週間」”. サンスポ. 2017年2月20日閲覧。
  2. ^ ドルゴポロフ 復帰の可能性”. news.tennis365.net. 2019年6月26日閲覧。

外部リンク 編集