アントワン・ライト

アメリカのバスケットボール選手 (1984 - )

アントワン・ライトAntoine Domonick Wright1984年2月6日 - )はカリフォルニア州ウェストコビーナ出身の元バスケットボール選手。ポジションはシューティングガードスモールフォワード

アントワン・ライト
Antoine Wright
引退
ポジション SG/SF
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1984-02-06) 1984年2月6日(40歳)
出身地 カリフォルニア州ウェストコビーナ
身長(現役時) 201cm (6 ft 7 in)
体重(現役時) 97kg (214 lb)
キャリア情報
出身 テキサスA&M大学
ドラフト 2005年 15位
選手経歴
2005-2008
2008-2009
2009-2010
2010
2010
2010-2016
ニュージャージー・ネッツ
ダラス・マーベリックス
トロント・ラプターズ
サクラメント・キングス
中華人民共和国の旗 江蘇ドラゴンズ
Dリーグ、海外リーグなど
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
U-18バスケットボールアメリカ選手権
2002 マルガリータ島 男子団体

経歴 編集

プロ入りまで 編集

2002年、U-18アメリカ代表として、ベネズエラマルガリータ島で行われたU-18バスケットボールアメリカ選手権に出場、銅メダルを獲得した。

2002年の高校卒業時、ESPNは彼を全米4位のプロスペクトと評価した[1]アリゾナ大学メリーランド大学コネティカット大学ノースカロライナ大学アリゾナ州立大学などからもリクルーティングされたが、最も早くから彼に注目していたテキサスA&M大学に進学した[1]

1年次には平均14.5得点、6.6リバウンド、1.3スティール、0.7ブロックショットビッグ・12・カンファレンスのフレッシュマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれた[1]。2年次チームはカンファレンス内の対戦で16戦全敗した。彼は28試合中26試合で先発出場しチームトップの平均13.5得点、シーズン通算で47本の3ポイントシュート、98ブロックショットをあげた。グランブリング州立大学戦では5本の3ポイントシュートを決めて自己最高の32得点、カンザス大学戦では24得点、自己ベストの12リバウンドをあげた[2]。ヘッドコーチが解任されることになり、彼はこのシーズンを最後にNBAドラフトへのアーリーエントリーを検討したが、新ヘッドコーチとの面談でドラフト1巡で指名されるには1年顕著な成績をあげる必要があると説得され、大学に残った。

大学3年次には、カンファレンス内4位の平均17.8得点、全米トップの3ポイントシュート成功率44.7%の成績をあげた[2]コロラド大学戦では11本のフリースローすべてを決めて自己ベストタイの32得点、テキサス工科大学戦では8本中7本の3ポイントシュートを決めて29得点をあげた[2]。こうした活躍から彼はAP通信によって大学初のオール・ビッグ・12・カンファレンスのファーストチームに選ばれた。チームはこの年NITトーナメントベスト4に進出、1982年以来となる好成績をあげた。シーズン終了後、彼は2005年のNBAドラフトにアーリーエントリーすることを決断した。

ドラフトでは1巡目15位でニュージャージー・ネッツから指名された。テキサスA&M大学からNBAドラフト指名されたのは彼が3人目であり、1巡目で指名されたのは1976年のソニー・パーカー以来のこと、またパーカーは全体17位指名であり、彼は同大学から最高位でNBAドラフト指名された選手となった(その後、2007年のNBAドラフトエイシー・ローが全体11位で指名された。)。

初年度はチームメイトのヴィンス・カーターリチャード・ジェファーソンの二人がいたこともあり、39試合出場、1試合平均わずか9.5分の出場、シュート成功率35%に止まる。

2年目の06-07シーズンはカーター、ジェファーソンの控えとしてローレンス・フランクヘッドコーチによるチームのローテーションに食い込み、63試合出場(ジェファーソンが足首の負傷で欠場したことなどにより、23試合に先発出場)を果たし、4.5得点、2.8リバウンドの成績を残し、成長の跡を残した。07-08シーズン序盤はキャリアハイとなる21得点をあげるなど好調のスタートを切ったが、その後はチーム成績と共に自身も調子を落とし、このシーズン中に行われたジェイソン・キッドを核とした大型トレードに組み込まれ、ダラス・マーベリックスへ移籍した。

2008年11月25日のインディアナ・ペイサーズ戦では39分出場し、自己ベストの24得点をあげた。

2009年7月9日、数チームがからんだトレードで、デヴィン・ジョージと共にトロント・ラプターズへ移籍した。

2010年7月23日、サクラメント・キングスと契約したが、同年11月29日、キングスからカットされた[3]。その後12月31日、中国の江蘇ドラゴンズと契約した[4]

脚注 編集

  1. ^ a b c Eric Pedersen (2005年6月28日). “The Wright stuff”. thebatt.com. 2011年6月22日閲覧。
  2. ^ a b c Prospect Profile”. nba.com. 2011年6月22日閲覧。
  3. ^ Transactions: 2010-11 Season”. nba.com. 2011年6月22日閲覧。
  4. ^ 江苏男篮确认签约前NBA悍将 不好管理弃死神帕克”. sports.sina.com (2010年12月31日). 2011年6月22日閲覧。
  5. ^ 18 NBA Veterans Arrested in Alleged $4 Million Health Insurance Fraud Scheme”. NBC News (2021年10月7日). 2021年10月9日閲覧。
  6. ^ トニー・アレンやダリアス・マイルズら計18人がニューヨーク連邦裁判所に起訴される…”. バスケットボールキング (2021年10月8日). 2021年10月10日閲覧。

外部リンク 編集