アントワーヌ・シェジー

アントワーヌ・シェジーフランス語: Antoine Chézy1718年9月1日 - 1798年10月4日)は、フランス水理技術者シャロン=アン=シャンパーニュで生まれ、パリで死去。平均流速公式であるシェジー公式で知られる。

アントワーヌ・シェジー
生誕 (1718-09-01) 1718年9月1日
フランスの旗 フランスシャロン=アン=シャンパーニュ
死没 (1798-10-04) 1798年10月4日(80歳没)
フランスの旗 フランスパリ
国籍 フランスの旗 フランス
教育 国立土木学校
子供 アントワーヌ=レオナール・ド・シェジーインド学者
業績
専門分野 水理学
所属機関 市街地舗装局
国立土木学校
プロジェクト ブルゴーニュ運河
マルヌ川の橋
コンコルド橋
成果 シェジー公式

生涯 編集

1718年フランスシャロン=アン=シャンパーニュで生まれる。

国立土木学校で学び、1752年ロイ・デ・レジュマート(Louis de Régemortes)の後任としてブルゴーニュ運河第一ルートの水準測量を行なった。 その後、1785年から1774年までジャン=ロドルフ・ペロネ(Jean-Rodolphe Perronet)と共に、ヌイイ=シュル=マルヌトリユポール(Trilport)のマルヌ川に架かるの建設工事を指導し、パリコンコルド橋を完成させた。 1774年には、パリの公道を管理する市街地舗装局の査察官(inspecteur général du pavé au Bureau de ville)となった。

そこでパリイヴェット川(Yvette (rivière))からの水供給について研究し、1775年開水路の平均流速公式として以下のシェジー公式を提案した。

 
ここで、 径深 エネルギー勾配河床勾配と同等)であり、係数 シェジー係数と呼ばれる水路の水の流れやすさを表す係数である。

この式は19世紀になりロバート・マニングによって少し修正されマニング公式となり、現在、パナマ運河のような大きな運河から灌漑水路のような小さなものまで開水路の設計・建設に広く使われている。

1790年に引退した後はしばらく貧困生活が続いたが、シェジーの教え子であったガスパール・ド・プロニーがシェジーの研究および業績を評価したこともあって、1797年国立土木学校のサード・ディレクターとなる。

1798年、80歳でパリで死去した。

参考文献 編集

  • Antoine Picon - L'invention de l'ingénieur moderne (1992), Presses des Ponts & Chaussées, ISBN 2-85978-178-1
  • G. Mouret, « Antoine Chézy : histoire d’une formule d’hydraulique », Annales des Ponts et Chaussées, 1921, vol. 61, p. 165-269