アントワーヌ・ド・リュクサンブール

アントワーヌ・ド・リュクサンブールAntoine de Luxembourg, ? - 1519年)は、フランスの貴族。ブリエンヌ伯、ルシー伯、リニー伯。

アントワーヌ・ド・リュクサンブール
Antoine de Luxembourg
ブリエンヌ伯
ルシー伯
リニー伯
在位 ブリエンヌ伯:1482年 - 1519年
ルシー伯:1495年 - 1519年
リニー伯:1510年 - 1519年

死去 1519年
配偶者 シャルニー女伯アントワネット・ド・ボーフルモン
  フランソワーズ・ド・クロイ
子女 フィリベルト
シャルル
家名 ルクセンブルク=リニー家
父親 サン=ポル伯ルイ
母親 ジャンヌ・ド・マルル
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生涯 編集

サン=ポル伯ルイとその最初の妻のマルル女伯・ソワソン女伯ジャンヌの間の四男として生まれた[1]。1482年、兄ピエール2世の死に伴い、ブリエンヌ伯領を相続した。1495年には所領のルシー英語版が伯爵領に昇格した。1510年にルシヨン伯シャルル・ド・ブルボン(ブルボン公シャルル1世の庶出の孫)が死ぬと、1475年の父の処刑と同時に没収されていた、ルクセンブルク=リニー家の先祖伝来の領地リニー伯領を取り戻した。

最初の妻シャルニー女伯アントワネット・ド・ボーフルモンとの間には娘を1人もうけた。

2番目の妻でシメイ伯フィリップの娘フランソワーズ・ド・クロイとの間には息子を1人もうけた。

  • シャルル(1488年 - 1530年) - リニー伯、ブリエンヌ伯、ルシー伯

この他、庶子にリュケモン英語版の領主アントワーヌ(1538年没)がおり、その家系は1670年まで続いた。

脚注 編集

  1. ^ Darryl Lundy (2004年4月13日). “Antoine, Cte de Roussy, de Brienne et de Ligny(A4)”. thePeerage.com. 2013年1月19日閲覧。


先代
ピエール2世
ブリエンヌ伯
1482年 - 1519年
次代
シャルル
先代
新設
ルシー伯
1495年 - 1519年
次代
シャルル
先代
シャルル・ド・ブルボン=ルシヨン
リニー伯
1510年 - 1519年
次代
シャルル