アントワーヌ・フォルクレ

アントワーヌ・フォルクレ(Antoine Forqueray, 1671年頃1745年)はフランス盛期バロック音楽作曲家マラン・マレとともにフランス・ヴィオール界のヴィルトゥオーゾの双璧と呼ばれた。優雅で暖かな美音を特色とするマラン・マレが「天使のようなマレ」と呼ばれたのに対して、フォルクレは表現衝動に富んだ鬼気迫る演奏から「悪魔のようなフォルクレ」と呼ばれた。このような評価は、フォルクレの気性の激しさをも暗示している。

アントワーヌ・フォルクレ
Antoine Forqueray
基本情報
生誕 1671年頃
フランス王国パリ
死没 1745年
フランス王国マント=ラ=ジョリー
職業 作曲家
活動期間 盛期バロック音楽

パリ音楽家の家系に生まれ、弟ミシェル(1681年1757年)、息子ジャン=バティスト(1699年1782年)とニコラ・ジル(1703年1761年)はいずれも作曲家になった。1689年ルイ14世の宮廷室内楽団員に選ばれ、ヴェルサイユ宮殿で演奏に携わる。1710年まで夫人のクラヴサン伴奏によって独演を続け、1730年にマント=ラ=ジョリに隠退し、その地で臨終を迎えた。

フォルクレは自分の神秘的なイメージを好んで、自作を出版しなかった。また長男ジャン=バティストに対して(おそらく嫉妬から)冷たく酷い仕打ちをしたが、ジャン=バティストは父親の作品が世に埋もれることを惜しんで、父親の死後2年の1747年に、そのヴィオール曲集、及びそのクラヴサン独奏用の編曲版を出版した。

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