アーサー・ダンケル(Arthur Dunkel、1932年8月26日 - 2005年6月8日[3]は、スイス行政官英語版。1980年から1993年までGATT事務局長を務めた。ジュネーヴの国際研究大学院を修了。

Arthur Dunkel
GATT事務局長
任期
1980年10月1日 – 1993年7月1日
前任者オリバー・ロング
後任者ピーター・サザラード
個人情報
生誕 (1932-08-26) 1932年8月26日
スイス・シャフハウゼン(ポルトガル・リスボン生まれ説あり)[1]
死没 (2005-06-08) 2005年6月8日(72歳没)
スイス・ジュネーヴ
国籍スイス
配偶者あり[2]
出身校国際研究大学院

GATT ウルグアイ・ラウンド交渉において積極的に活動した貢献は、交渉妥結に不可欠であった。当初の1990年末とされていた交渉期限が過ぎ、妥結の見通しが立っていなかった1991年12月、率先してダンケル・テキストをまとめた。このテキストは交渉結果をまとめており、合意に至っていなかった問題に対する調停策を提供していた。アメリカ合衆国とインドがダンケル・テキストの変更について交渉を続けたが、農業分野でわずかな修正がなされただけだった。ダンケル・テキストの内容は受け入れられ、世界貿易機関 (WTO) の設立につながった。

先代
オリビエ・ロング
GATT/WTO事務局長
1980年 - 1993年
次代
ピーター・サザーランド

脚注 編集