アーサー・マナリング・ティンダル

アーサー・マナリング・ティンダル(Arthur Mannering Tyndall、1881年9月18日 - 1961年11月1日)はイギリスの物理学者である。ブリストル大学の物理学部長、 H.H.Wills物理学研究所の所長を務めた。

略歴 編集

ブリストルに生まれた。1899年からブリストル大学の前身のユニバーシティ・カレッジ・ブリストルで学び、1903年から助講師となった。気体中のイオンの移動の研究を行い、1919年にブリストル大学の物理学の教授職(Henry Overton Wills Professor)を得た [1]。ティンダルの教えた学生には、ノーベル物理学賞を受賞したポール・ディラックがいる。1916年からブリストルの実業家、ヘンリー・ハーバード・ウィリスと親しくし、近代的な物理学研究所の建設の資金を獲得し、 H.H.Wills物理学研究所が設立され、ティンダルは所長となった[2]。多くの優れた物理学者をブリストル大学に招き、研究所をイギリスの物理学の先端研究の場所にした。理論物理学のジョン・レナード=ジョーンズや固体物理学のネヴィル・モット、素粒子物理学のセシル・パウエルらが有名である。1948年に退職するが、その後も大学の運営に貢献した。

歴史の古い物理学雑誌、「フィロソフィカル・マガジン」(Philosophical Magazine)の編集委員も務めた。

1933年に王立協会フェローに選ばれた。イギリス国立物理学研究所の上級執行委員会の委員を務め、1946年から1948年まで英国物理学会の会長を務めた。

参考文献 編集