アーサー・ヘンリー・ハウ・ジュニアArthur Henry Howe Jr. , 1946年12月15日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ出身の元プロ野球選手内野手。主に二塁手)。右投右打。

アート・ハウ
Art Howe
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ペンシルベニア州ピッツバーグ
生年月日 (1946-12-15) 1946年12月15日(77歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1971年 アマチュア・フリーエージェントとしてピッツバーグ・パイレーツと契約
初出場 1974年7月10日 アトランタ・ブレーブス
最終出場 1985年4月19日 ピッツバーグ・パイレーツ
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

経歴 編集

ワイオミング大学卒業後の1971年、地元ピッツバーグ・パイレーツへテスト生として24歳でプロ入り。それまではプログラマとして生計を立てていたという[1]

1974年にメジャーデビューし、ヒューストン・アストロズ移籍後の1977年より出場機会が大幅に増える。以後1970年代後半から1980年代前半までアストロズのレギュラー内野手に定着。セントルイス・カージナルス在籍時の1985年開幕直後に引退を表明。

引退後は、1986年テキサス・レンジャーズでコーチを務め、1989年にアストロズ監督に就任も最初の3年は負け越す。1992年と翌1993年には勝率5割以上と健闘するが、1993年限りで解任されてしまう(後任はテリー・コリンズ)。その後はドミニカ・ウィンターリーグの監督、ロサンゼルス・ドジャースのスカウト、コロラド・ロッキーズの打撃コーチを歴任する。

 
ニューヨーク・メッツ時代
(2004年8月7日)

1996年トニー・ラルーサ監督の後釜としてオークランド・アスレチックスの監督に就任するも、ここでもアストロズ監督時代同様最初の3年は負け越してしまう。しかし、ジェイソン・ジアンビの成長や若手の台頭などで戦力が整った1999年には、ポストシーズン進出こそ逃すも87勝を挙げ、最下位という下馬評を覆す躍進を演じた。翌2000年からは3年連続ポストシーズンに導き、2002年限りでアスレチックス監督を退任(後任はケン・モッカ)。翌2003年から2年間はニューヨーク・メッツの監督、2007年から2年間はレンジャーズのベンチコーチを務めた。

2013年にはWBC中国代表コーチを務めた[2]

監督としての特徴・人物 編集

若手選手を辛抱強く使い続けることに定評があり、アストロズではクレイグ・ビジオジェフ・バグウェル、アスレチックスではエリック・チャベスミゲル・テハダの大成に一役買うなど過渡期のチームで手腕を発揮する監督と言える。逆に早期で結果を求められる土地柄のニューヨークを本拠地とするメッツでは大きな功績を残せず、「彼の気楽なやり方はニューヨークではなじまない」と失格の烙印を押された[3]

温厚で笑顔を絶やさないため選手からの人望が厚く、アスレチックス監督時代に解任の噂が出た際には、選手数名がビリー・ビーンGMに引き留めを直訴したという逸話がある。

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
1974 PIT 29 85 74 10 18 4 1 1 27 5 0 0 0 1 9 0 0 13 1 .243 .321 .365 .686
1975 63 162 146 13 25 9 0 1 37 10 1 0 1 0 15 3 0 15 5 .171 .248 .253 .502
1976 HOU 21 35 29 0 4 1 0 0 5 0 0 0 0 0 6 1 0 6 1 .138 .286 .172 .458
1977 125 463 413 44 109 23 7 8 170 58 0 1 2 2 41 6 5 60 10 .264 .336 .412 .748
1978 119 462 420 46 123 33 3 7 183 55 2 3 1 5 34 3 1 41 13 .293 .343 .436 .779
1979 118 398 355 32 88 15 2 6 125 33 3 1 2 4 36 5 1 37 7 .248 .316 .352 .668
1980 110 364 321 34 91 12 5 10 143 46 1 0 4 4 34 6 1 29 9 .283 .350 .445 .795
1981 103 406 361 43 107 22 4 3 146 36 1 3 1 3 41 7 0 23 8 .296 .365 .404 .770
1982 110 415 365 29 87 15 1 5 119 38 2 0 4 3 41 15 1 45 10 .238 .315 .326 .641
1984 STL 89 161 139 17 30 5 0 2 41 12 0 2 1 3 18 1 0 18 6 .216 .300 .295 .595
1985 4 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
MLB:11年 891 2954 2626 268 682 139 23 43 996 293 10 10 16 25 275 47 9 287 70 .260 .329 .379 .708

背番号 編集

  • 14 (1974年 - 1975年)
  • 18 (1976年 - 1982年、1989年 - 1993年、1996年 - 2004年)
  • 7 (1984年 - 1985年)
  • 10 (1986年 - 1987年)
  • 41 (1995年)
  • 11 (2007年 - 2008年)

脚注 編集

  1. ^ 「ヒューストン・アストロズ」『'92 大リーグ総ガイド』 週刊ベースボール1992年4月25日増刊号 ベースボール・マガジン社 88頁
  2. ^ WBC中国代表一覧
  3. ^ 「30球団マンスリー・リポート ニューヨーク・メッツ 本塁打で現役生活を終えたジール 投手コーチ以外は首脳陣を刷新」『月刊メジャー・リーグ』 2004年12月号 ベースボール・マガジン社 63頁

関連項目 編集

外部リンク 編集