イアン・スティーヴン・マッカロク(Ian Stephen McCulloch、1959年5月5日 - )は、イギリスリヴァプール出身のミュージシャン。ロックバンドエコー&ザ・バニーメンボーカリストとして知られる。ソロのシンガーソングライターとしても活躍。

イアン・マッカロク
イアン・マッカロク(渋谷にて撮影)
基本情報
出生名 Ian Stephen McCulloch
生誕 (1959-05-05) 1959年5月5日(64歳)
出身地 イングランドの旗 イングランドリヴァプール
ジャンル ポストパンク
オルタナティヴ・ロック
ネオ・サイケデリア
職業 ミュージシャンシンガーソングライター
担当楽器 ボーカルギターベースギターキーボードパーカッション
活動期間 1977年 -
レーベル ポリグラムサイアーワーナークッキング・ヴァイナル
共同作業者 エコー&ザ・バニーメンエレクトラフィクションクルーシャル・スリー
アムステルダムでのライヴにて(2006年)

Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第83位[1]

経歴 編集

クルーシャル・スリーとしての活動を1977年に開始。ティアドロップ・エクスプローズジュリアン・コープなども在籍していたが翌年9月に解散。

10月にギタリストのウィル・サージェント、ベーシストのレス・パティンソンらとともにエコー&ザ・バニーメンを結成。当初ドラマーはおらず、Echoと名付けられたドラムマシーンを使用していたが、1979年10月にピート・デ・フレイタスをドラマーとして募り、翌1980年7月に1stアルバム『クロコダイルズ』でデビューを果たす。

1988年にエコー&ザ・バニーメンを脱退。ソロアーティストとして活動を開始。翌1989年9月に1stソロアルバム『キャンドルランド』を発売。全英18位を記録。1992年3月に2ndソロ『ミステリオ』を発売。全英46位。

1994年にウィル・サージェントらと新バンドエレクトラフィクションを結成。翌年9月に唯一のアルバム『バーンド』をリリースし、全英38位を記録。1996年に解散。

1997年にエコー&ザ・バニーメンの活動を再開。同年7月にアルバム『エヴァーグリーン』を発売。現在まで活動を継続させており、2009年に11枚目のアルバム『ザ・ファウンテイン』を発売。

2017年4月14日、日本公演を行う予定が「『米国と北朝鮮が武力衝突する』というニュースを聴き、マネージャーと共に無許可で日本を出国」したため中止となった[2]

音楽的影響 編集

ルー・リードイギー・ポップドアーズスティーヴィー・ワンダーレナード・コーエン、そしてとりわけデヴィッド・ボウイなどからの影響を公言。レナード・コーエンの曲「スザンヌ」を「完璧な歌詞と完璧なメロディ」と賞賛している(2008年のコンピレーション・アルバム『Cohen Covered』でカバー[3])。デヴィッド・ボウイに関してはかねてより噂されていた重病説を信じ込み、彼が亡くなるものだと思いMe and David Bowieと題されたトリビュートソングを書き上げたものの、2013年に突如活動再開しニューアルバムが発売されるなど、現役復帰のニュースを聞いた際には大変驚いたという[4]

私生活 編集

  • 1983年に結婚、二女を儲けるが2003年暮れに別居。

ディスコグラフィー 編集

アルバム 編集

  • キャンドルランド Candleland (1989年)
  • ミステリオ Mysterio (1992年)
  • スライドリング Slideling (2003年)
  • Pro Patria Mori (2012年)

シングル 編集

参加作品 編集

  • There's Only One Jimmy Grimble-No Substitute for Life (2000年)

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集