イオアニス・ドゥーカス

イオアニス・ドゥーカス(Ioannis Doukas もしくは Dukas、ギリシャ語:Ιωάννης Δούκας1841年1916年)はギリシャの画家である。ミュンヘンで修業した画家たち、「ギリシャ・ミュンヘン派」の一人で、人物画などを描いた[1][2]

イオアニス・ドゥーカス
Ioannis Doukas
ドゥーカス作『アキレスの死』
誕生日 1841年
出生地 アルバニア,ジロカストラ
死没年 1916年
死没地 ギリシャ,アテネ
運動・動向 ギリシャ・ミュンヘン派
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略歴 編集

当時、オスマン帝国が支配していた現在のアルバニアジロカストラに生まれた。1859年からアテネの美術学校で学んだ後、ミュンヘンに移り、1865年から1868年までミュンヘン美術院カール・フォン・ピロティに学んだ。その後、パリに移り、ジャン=レオン・ジェロームにも学んだ[1]

パリやマルセイユウィーンで肖像画家として働き、高い評価を得た。1879年にギリシャに帰国した。帰国後も国内の展覧会だけでなくパリの展覧会にも出展した[1]。イギリス、リバプールのギリシャ正教寺院の装飾画も描いた[3]

ニキフォロス・リトラスニコラオス・ギジスを代表とするミュンヘン美術院で学んだギリシャ人画家の一人である。肖像画の他、歴史画や神話を題材にした絵画も描いた。1916年にアテネで死去した。

作品 編集

参考文献 編集

  1. ^ a b c Δούκας Ιωάννης”. nationalgallery.gr/. Εθνική Πινακοθήκη. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月29日閲覧。
  2. ^ Mature Urban Portraiture”. E. Averof Gallery. 2013年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月29日閲覧。
  3. ^ Sarafianos, Aris (2006). “The Diaspora of Greek Painting in the Nineteenth Century: Christou’s Model and the Case of Marie Spartali-Stillman”. Historein 6 (65): 153. 2013-12