インノケンティウス5世 (ローマ教皇)
インノケンティウス5世(Innocentius V, 1225年 - 1276年6月22日)は、ローマ教皇(在位:1276年)。本名はピエール・ド・タランテーズ(Pierre de Tarentaise)。ドミニコ会出身で初の教皇である。
インノケンティウス5世 | |
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第185代 ローマ教皇 | |
教皇就任 | 1276年1月21日 |
教皇離任 | 1276年6月22日 |
先代 | グレゴリウス10世 |
次代 | ハドリアヌス5世 |
個人情報 | |
出生 |
1225年 神聖ローマ帝国 サヴォイア伯国 |
死去 |
1276年6月22日 教皇領 ローマ |
その他のインノケンティウス |
生涯 編集
説教師として名を馳せ、ローマ教皇庁で順調に出世、グレゴリウス10世没後のコンクラーヴェで教皇に選ばれた。しかし、東ローマ皇帝ミカエル8世パレオロゴスに強圧的な態度を取ったため、東西教会の合同を危うくした。背景にシチリア王シャルル・ダンジューの存在があったとされる。