ウィリアム・H・ウェブスター

ウィリアム・ヘッジコック・ウェブスター (William Hedgcock Webster, 1924年3月6日 - [1]) は、アメリカ合衆国国土安全保障諮問委員会議長[2]弁護士、法学者。1978年から1987年まで連邦捜査局(FBI)長官、1987年から1991年まで中央情報長官CIA長官)を歴任[3]。CIA長官とFBI長官の両方を歴任した唯一のアメリカ人である。

ウィリアム・ウェブスター
生年月日 (1924-03-06) 1924年3月6日(100歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ミズーリ州セントルイス
出身校 アマースト大学 (BA)
ワシントン大学 (JD)
配偶者 ドゥルーシラ・レーン (1950-1984)
リンダ・クラグストン (1990-現在)

在任期間 2005年8月10日 -
大統領 ジョージ・W・ブッシュ
バラク・オバマ
ドナルド・トランプ

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
第14代中央情報長官
在任期間 1987年5月26日 - 1991年8月31日
大統領 ロナルド・レーガン
ジョージ・H・W・ブッシュ

在任期間 1978年2月23日 - 1987年5月25日
大統領 ジミー・カーター
ロナルド・レーガン

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
控訴裁判所第8巡回区判事
在任期間 1973年7月18日 - 1978年2月22日
大統領 リチャード・ニクソン

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
地方裁判所ミズーリ州東部地区判事
在任期間 1970年12月21日 - 1973年7月18日
大統領 リチャード・ニクソン
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生い立ちおよび経歴 編集

ウェブスターはミズーリ州セントルイスで生まれ、ウェブスター・グローブスで初等教育を受けた[4]。大学はマサチューセッツ州アマーストアマースト大学に進学、ここではサイ・ウプシロンのメンバーであった。1947年に卒業し、1949年にセントルイス・ワシントン大学ロー・スクールで法務博士(専門職)の学位を取得した。

第二次世界大戦にはアメリカ海軍中尉として従軍し、戦後はセントルイスの法律事務所に勤めたが、間もなく公職に就く。1960年から61年までミズーリ州東部地区地方裁判所の地方検事を務め、その後1964年から1969年にかけてミズーリ州法審査委員会の委員を務めた。

1970年、ウェブスターは合衆国地方裁判所ミズーリ州東部地区判事に任命され、1973年には合衆国控訴裁判所第8巡回区判事昇格した。

FBI及びCIA長官 編集

5年後、ウェブスターはジミー・カーター大統領によって連邦捜査局(FBI)長官に任命された[5]。1987年にはロナルド・レーガン大統領によって中央情報長官CIA長官)に任命された。彼は1991年に引退するまで同職を務めた。その後は公職から離れ、ワシントンD.C.のミルバンク・トゥィード・ハドレー・アンド・マクロイ事務所で仲裁、調停、内部調査を専門にした。

PCAOB 編集

 
ウェブスター(右)、ディック・チェイニー(左)、ブレント・スコウクロフト(中央)

2002年には公開企業会計監視委員会(PCAOB)の初代議長を務めた。しかしながらウェブスターの同職への就任は議論となった。また、新聞報道でウェブスターが違法会計で監査を受けているハイテク企業のU.S.テクノロジーの監査委員会の委員であったことが明らかになり、これも議論となった。ウェブスターはPCAOBが設立されてから3週間足らずで辞任した[6]

栄誉 編集

私生活 編集

 
2016年6月

最初の妻ドゥルーシラ・レーンとは34年間の結婚生活を送った。夫妻の間にはドゥルーシラ、ウィリアム・H・ウェブスター・ジュニア、キャサリンの3人の子どもがいた。1984年に最初の妻と死別し、1990年にリンダ・クラグストンと再婚した。夫妻はワシントンD.C.に居住している。


参照 編集

外部リンク 編集

司法職
New seat 合衆国地方裁判所ミズーリ州東部地区判事
1970-1973
次代
ジョン・ナングル
先代
マリオン・マッテス
合衆国控訴裁判所第8巡回区判事
1973-1978
次代
セオドア・マクミリアン
官職
先代
ジェームズ・アダムズ
代行
連邦捜査局長官
1978-1987
次代
ジョン・オットー
代行
先代
ウィリアム・ケイシー
アメリカ合衆国中央情報長官
1987-1991
次代
ロバート・ゲーツ
先代
ジョー・グラノ
国土安全保障諮問委員会議長
2005-現職
現職