ウィリアム・ピンクニー

ウィリアム・ピンクニー(William Pinkney, 1764年3月17日 - 1822年2月25日)は、アメリカ合衆国政治家外交官1811年から1814年まで第7代アメリカ合衆国司法長官を務めた。

ウィリアム・ピンクニー

生涯 編集

1764年3月17日、ピンクニーはメリーランド植民地アナポリスにおいて、イギリスからの移民ジョナサン・ピンクニー (Jonathan Pinkney, 1732-1795) とアン・リンド (Ann Rind) の長男として誕生した。ピンクニーは医学と法学を学び、1786年に弁護士として認可を受けた。ピンクニーは1788年から1792年までハートフォード郡で弁護士業を営んだ。

ピンクニーは1788年4月にメリーランド州憲法制定会議の代表を務め、合衆国憲法の批准に賛成した。ピンクニーは1788年から1792年までメリーランド州下院議員を務めた。1791年、ピンクニーはアメリカ合衆国下院議員に選出されたが、着任後の同年11月に議員資格を満たさないとして辞任した。ピンクニーはその後1792年から1795年までメリーランド州執行評議会に参加し、1794年から1795年まではメリーランド州アナポリス市長も務めた。1795年、ピンクニーは再びメリーランド州下院議員を務めた。

1796年、ピンクニーはジョージ・ワシントン大統領によってジェイ条約下の仲裁委員の1人に任ぜられ、1794年までイギリスロンドンに赴いた。ピンクニーは1805年から1806年までメリーランド州検事総長1806年から1807年までジェームズ・モンローと共同で駐イギリス公使を務めた。1807年から1811年までは駐イギリス全権公使となった。

ピンクニーは1811年6月にメリーランド州ボルチモアに帰国した。ピンクニーはジェームズ・マディソン大統領からアメリカ合衆国司法長官に任ぜられ、1811年から1814年まで同職を務めた。1812年米英戦争起こると、ピンクニーはメリーランド州民兵で少佐となった。ピンクニーはブレイデンスバーグの戦いに参加した。1814年8月、ピンクニーはアメリカ合衆国下院議員に選出され、1815年3月に着任した。1816年4月、ピンクニーは駐ロシア公使への就任要請を受理するためアメリカ合衆国下院議員を辞任し、1816年から1818年まで駐ロシア公使を務めた。またピンクニーは同時に駐ナポリ特別公使も務めた。

1816年、ピンクニーはアレクサンダー・ハンソンの死去による空席を充当するため、民主共和党からアメリカ合衆国上院議員に選出された。ピンクニーは1819年12月に着任し、死去する1822年2月まで同職を務めた。

1822年2月25日、ピンクニーはワシントンD.C.で死去した。ピンクニーの遺体は議会墓地に埋葬された。

家族 編集

ピンクニーは1789年5月16日にメリーランド州ハバードグラスにおいて、スコットランドからの移民の娘アン・マリア・ロジャース (Ann Maria Rodgers, 1769-1849) と結婚した。2人の間には以下の子供が生まれた。

  • エリザベス・ピンクニー (Elizabeth Pinkney, 1789-1868)
  • ウィリアム・ピンクニー (William Pinkney, 1790-1853)
  • イザベラ・ピンクニー (Isabella Pinkney, 1795-1871)
  • チャールズ・ピンクニー (Charles Pinkney, 1797-1835)
  • シャーロット・ピンクニー (Charlotte Pinkney, 1798-1885)
  • エドワード・クート・ピンクニー (Edward Coote Pinkney, 1802-1828)
  • フレデリック・K・ピンクニー (Frederick K. Pinkney, 1804-1873)
  • ヘンリー・ピンクニー (Henry Pinkney, 1807-????)
  • メアリー・カロライン・ピンクニー (Mary Caroline Pinkney, 1810-1885)
  • エミリー・ピンクニー (Emily Pinkney, 1811-1858)

外部リンク 編集

  • United States Congress. "ウィリアム・ピンクニー (id: P000362)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
  • U.S. Ministers and Ambassadors to Russia
公職
先代
ベンジャミン・コンティー
メリーランド州第3選挙区選出のアメリカ合衆国下院議員
1791年3月4日 - 1791年11月
次代
ジョン・マーサー
先代
ジェイムズ・ウィリアムズ[要曖昧さ回避]
アナポリス市長
1794年 - 1795年
次代
アレン・クイン
先代
ルター・マーティン
メリーランド州検事総長
1805年 - 1806年
次代
ジョン・トムソン・メイソン
先代
シーザー・オーガスタス・ロドニー
アメリカ合衆国司法長官
1811年12月11日 - 1814年2月9日
次代
リチャード・ラッシュ
先代
アレクサンダー・マッキム
メリーランド州第5選挙区選出のアメリカ合衆国下院議員
1815年3月4日 - 1816年4月18日
次代
ピーター・リトル
先代
アレクサンダー・ハンソン
メリーランド州選出のアメリカ合衆国上院議員(第1部)
1819年12月21日 - 1822年2月25日
次代
サミュエル・スミス
外交職
先代
ジェームズ・モンロー
在イギリスアメリカ合衆国全権公使
1808年4月27日 - 1811年5月7日
次代
ジョナサン・ラッセル
先代
ジョン・クィンシー・アダムズ
在ロシア帝国アメリカ合衆国特命全権公使
1817年1月13日 - 1818年2月14日
次代
ジョージ・ワシントン・キャンベル