ウィリアム・W・ディクソン

ウィリアム・ワート・ディクソン(英語: William Wirt Dixon, 1838年6月3日 - 1910年11月13日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の政治家民主党員。 アメリカ合衆国下院議員

ウィリアム・W・ディクソン
William W Dixon
生年月日 (1838-06-03) 1838年6月3日
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ブルックリン区
没年月日 (1910-11-03) 1910年11月3日(72歳没)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州ロサンゼルス
所属政党 民主党

選挙区 モンタナ州全州選挙区
当選回数 1回
在任期間 1891年3月4日 - 1893年3月3日
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経歴・人物 編集

ディクソンはニューヨーク州ブルックリン区で生まれた。1849年アイオワ州リー郡キオカックに移住し、法律を学んだ。1858年に弁護士資格を取得[1]テネシー州アーカンソー州カリフォルニア州ネバダ州などで弁護士活動を続け、1866年モンタナ州ヘレナに移住し、鉱業弁護士として活躍した[2]

1869年、ディクソンは準州最高裁判事を目指すも、準州議会に承認されず、就任を阻まれた[3]

1871年モンタナ準州議会の議員を務めたあと、ブラックヒルズ山脈に近いディアロッジに移住。その後、1881年にモンタナ州ビュートを拠点に弁護士活動を始めた。1884年1889年にはモンタナ州の憲法制定会議の代表として選出された。ディクソンは1890年11月4日に行われた下院議員選挙に出馬し、共和党現職のトーマス・H・カーターを破り、1891年から1893年まで連邦下院議員を務めた。1892年選挙に出馬するも落選し、ビュートでの弁護士活動を再開した[1]

1910年11月13日カリフォルニア州ロサンゼルスで死去。カルバリー墓地に埋葬されたが、1911年3月15日ワシントンD.C.のロック・クリーク墓地に改葬された[1]

関連項目 編集

参考文献 編集

  1. ^ a b c DIXON, William Wirt; 1838 – 1910”. Biographical Directory of the United States Congress. 2021年4月1日閲覧。
  2. ^ Montana, its story and biography : a history of aboriginal and territorial Montana and three decades of statehood Vol.1. Chicago and New York, The American Historical Society. (1921). pp. 447-448. https://mtmemory.org/digital/collection/p15018coll38/id/4162 
  3. ^ Spence, C. C (1961). “The Territorial Officers of Montana, 1864-1889”. Pacific Historical Review 30(2): 128-129. doi:10.2307/3636697. 
アメリカ合衆国下院
先代
トーマス・H・カーター
モンタナ州選出下院議員
モンタナ州全州選挙区

第2代:1891年3月4日1893年3月3日
次代
チャールズ・S・ハートマン