ウインザーノット (競走馬)

競走馬

ウインザーノット(欧字名:Windsor Knot1980年3月3日 - 2009年11月19日)は、日本競走馬種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1984年1985年函館記念主戦騎手柴田政人田面木博公

ウィンザーノット
欧字表記 Windsor Knot[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1980年3月3日[1]
死没 2009年11月19日(29歳没)
パーソロン[1]
サンサン[1]
母の父 Bald Eagle[1]
生国 日本の旗 日本北海道新冠町[1]
生産者 明和牧場[1]
馬主 ホースマン[1]
調教師 高松邦男美浦[1]
競走成績
生涯成績 19戦7勝[1]
獲得賞金 1億9460万800円[1]
勝ち鞍
GIII 函館記念 1984年・1985年
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馬名は「ウインザー公」として知られるイギリス国王エドワード8世および同名のネクタイの結び方の名前が由来である。半妹にスプライトパッサー(父:メイワパッサー関屋記念勝ち)がいる。

競走馬時代 編集

既に日本でリーディングサイアーとして名を馳せていたパーソロンを父に、凱旋門賞ヴェルメイユ賞を制した名牝・サンサンを母に持つ「超良血馬」であった。しかし1983年、4歳春にデビュー後、新馬戦・未勝利戦を4戦して1つも勝てず、クラシックには完全に無縁であった。

4歳11月の400万下(格上挑戦)でようやく初勝利するとここから快進撃が始まり、以降条件戦を3連勝。準オープンの身でありながら重賞の函館記念に挑戦、53キロという軽ハンデで勝利し、ようやく良血が開花した。陣営はこの年(1984年)から2000mに距離が短縮された天皇賞・秋に照準を充てたが、軽度の骨折が発覚して休養を余儀なくされた。

6歳の宝塚記念で復帰。3着となると、続く高松宮杯でも3着となり、続く函館記念は58.5キロのハンデや不良馬場をものともせず連覇を果たす。毎日王冠2着後に臨んだ秋の天皇賞ではギャロップダイナシンボリルドルフと好勝負を演じるもニホンピロウイナーと同着の3着、続くジャパンカップでは精彩を欠き、全くいいところなく15着に敗れて以降、休養に入る。

7歳になって、まず巴賞に出走しレコード勝ちしたが、セカイオー鳴尾記念)以来の同一重賞3連覇のかかった函館記念は60.5キロという過酷なハンデもあって4着に敗れる(函館記念3連覇は後にエリモハリアーによって達成される)。毎日王冠4着後に出走した秋の天皇賞はレコード駆けのサクラユタカオーの2着に終わり、このレースをもって現役を引退した。

競走成績 編集

種牡馬時代 編集

生まれ故郷の明和牧場にて種牡馬となり「2000mで2分を6回切ったスピード馬」というキャッチコピーで生産者に宣伝された。1994年セントライト記念を制したウインドフィールズが代表産駒である。

1998年8月20日付で用途変更[2]、種牡馬を引退し、功労馬として明和牧場で繋養されていた。その後、2009年11月19日に死亡した[3]

主な産駒 編集

ブルードメアサイアーとしての主な産駒 編集

血統表 編集

ウインザーノット血統トウルビヨン系/Pharos 4×5=9.38%、父系にTourbillon 5×5=6.25%、母系にBull DogSir Gallahad 5×5=6.25%) (血統表の出典)

*パーソロン
1960年 鹿毛
父の父
Milesian
1953年 鹿毛
My Babu Djebel
Perfume
Oatflake Coup de Lyon
Avena
父の母
Paleo
1953年 鹿毛
Pharis Pharos
Carissima
Colonice Abjer
Colonis

*サンサン
1969年 黒鹿毛
Bald Eagle
1955年 黒鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Sigma Tiger
China Face
母の母
Sail Navy
1957年 鹿毛
Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Anchors Aweigh Davil Diver
True Bearing F-No.7-c

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o ウインザーノット”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年8月31日閲覧。
  2. ^ ウインザーノット(JPN) - 血統書サービス、2022年5月30日閲覧。
  3. ^ 馬・牧場・施設検索 - 競走馬のふるさと案内所、2022年5月30日閲覧。

外部リンク 編集