ウォーレン・バーンハート

ウォーレン・バーンハートWarren Bernhardt1938年11月13日 - 2022年8月19日[1])は、アメリカジャズポップスクラシック音楽のピアニスト。

ウォーレン・バーンハート
Warren Bernhardt
生誕 (1938-11-13) 1938年11月13日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ウィスコンシン州ウォーソー
死没 (2022-08-19) 2022年8月19日(83歳没)
ジャンル ジャズポップスクラシック
職業 ミュージシャン
担当楽器 ピアノキーボード
活動期間 1961年 - 2022年
レーベル Novus、アリスタ、DMP
公式サイト warrenbernhardt.com

略歴 編集

生い立ち 編集

ドイツ人移民の家庭に生まれる。バーンハートはウィスコンシン州ウォーソーで生まれた。父がピアニストということもあり、幼児期よりピアノに触れるようになり[2]、友人からキーボードの基本を学んだ。5歳の頃に両親がニューヨークへ転居し、その地においてさまざまなインストラクターの下で真剣に勉強し始めた。1952年に父親が亡くなった後、しばらくの間は音楽から離れ、シカゴ大学で化学と物理学を学んだ。そこでブルースとジャズにさらされたことが、彼のその後のキャリアに影響を与えた。

キャリア 編集

1961年から1964年まで、ポール・ウィンターのセクステットで働くこととなり、それがニューヨークへ戻るきっかけとなった。ニューヨーク入りすると、ジョージ・ベンソンジェリー・マリガンジェレミー・スタイグらと共演した。また、バーンハートの指導者を務めたピアニストのビル・エヴァンスとも緊密な関係を築いた。バーンハートは1970年代にいくつかのソロLPをリリースし、最終的にはソロ・プロジェクトに取り組み続けながら、フュージョン・グループのステップス・アヘッドのメンバーとなった[3]。1971年には、ドン・マクリーンの曲「Crossroads」にピアノの伴奏を提供した。

バーンハートは、ここ数十年にわたってジャズクラシックのレコーディングをリリースしており、「Homespun Tapes」の教育セッションでもオーディオ形式とビデオ形式の両方で取り上げられている。

バーンハートは1993年から1994年までアメリカでスティーリー・ダンと一緒に音楽監督としてツアーを行い[4]、その様子はスティーリー・ダンのアルバム『アライヴ・イン・アメリカ』で聴くことができる。彼はサイモン&ガーファンクルの「オールド・フレンズ・ツアー」や、アート・ガーファンクルのソロ・ツアーで演奏しており[5]、『アクロス・アメリカ〜ベリー・ベスト・オブ・アート・ガーファンクル』のDVD版とHDTVのプレゼンテーションでその姿を観ることができる。

2009年、バーンハートは、マイク・マイニエリデヴィッド・スピノザトニー・レヴィンスティーヴ・ガッドをフィーチャーした自身のバンド、リマージュ (L'Image)を、1973年の結成から久しぶりに再結成した。このグループはニューヨークのイリジウム・ジャズ・クラブで演奏し、日本をツアーし、アルバム『リマージュ』をリリースした。

ディスコグラフィ 編集

リーダー・アルバム 編集

  • Solo Piano (1977年、Novus)
  • 『ブルー・モントルー』 - Blue Montreux (1978年、Arista) ※日本盤はアリスタ・オール・スターズ名義。with マイク・マイニエリマイケル・ブレッカーランディ・ブレッカーラリー・コリエル
  • 『ブルー・モントルーII』 - Blue Montreux 2 (1978年、Arista) ※日本盤はアリスタ・オール・スターズ名義
  • 『フローティング』 - Floating (1979年、Arista/Novus)
  • 『フリー・スマイルズ:ライヴ・アット・モントルー1978』 - Free Smiles (Live At Montreux 1978) (1979年、Arista) ※with マイク・マイニエリ
  • 『マンハッタン・アップデイト』 - Manhattan Update (1980年)
  • 『トリオ'83』 - Warren Bernhardt Trio (1983年、DMP)
  • 『ハンズ・オン』 - Hands On (1987年、DMP)
  • 『エイント・ライフ・グランド』 - Ain't Life Grand (1990年、DMP)
  • 『ヒート・オブ・ザ・モーメント』 - Heat of the Moment (1991年、DMP)
  • 『リフレクションズ』 - Reflections (1992年、DMP)
  • Family Album (1993年、DMP)
  • So Real (2001年、DMP)
  • Amelia's Song (2003年、DMP)
  • 『ロータス・ナイト』 - Lotus Night (2016年、Warner Music) ※with 渡辺香津美、マイク・マイニエリ[6]

参加アルバム 編集

ケニー・バレル

  • 『ナイト・ソング』 - Night Song (1969年、Verve)

アート・ファーマー

ティム・ハーディン

  • 『ティム・ハーディン3 ライヴ・イン・コンサート』 - Tim Hardin 3 Live in Concert (1968年、Verve Forecast)

オドネル・リーヴィ

  • 『シンバ』 - Simba (1974年、Groove Merchant)

マイク・マイニエリ

  • 『エレクトリック・チューブ』 - Journey Thru an Electric Tube (1968年、Solid State)
  • 『ホワイト・エレファント』 - White Elephant (1972年、Just Sunshine) ※ホワイト・エレファント名義
  • 『リマージュ』 - L'Image 2.0 (2009年、L'Image) ※リマージュ名義

パット・マルティーノ

  • 『スターブライト』 - Starbright (1976年、Warner Bros.)

ジェリー・マリガン

  • 『サムシング・ブルー』 - Something Borrowed - Something Blue (1966年、Limelight)

ジェレミー・スタイグ

  • 『ジェレミー&ザ・サテュロス』 - Jeremy & The Satyrs (1968年、Reprise)
  • 『ジス・イズ・ジェレミー・スタイグ』 - This Is Jeremy Steig (1969年、Solid State)

脚注 編集

  1. ^ “サイモン&ガーファンクルやスティーリー・ダンらのツアーにも参加 ピアニストのウォーレン・バーンハート死去”. amass. (2022年8月24日). https://amass.jp/160263/ 2022年8月24日閲覧。 
  2. ^ Lewiston Evening Journal. "Community Concert Campaign Gets Underway This Week". May 1, 1950, p. 3. Retrieved on July 22, 2013.
  3. ^ Karlovits, Bob. "Steps Ahead meshes fusion rhythms, mainstream jazz". Pittsburgh Press, June 28, 1984, p. C6. Retrieved on July 22, 2013.
  4. ^ Findlay, Prentiss. "Lewis, Dan Brubeck will jazz up festival". The Post and Courier (Charleston, S.C.), February 5, 1994, p. 1-B. Retrieved on July 22, 2013.
  5. ^ The Daily Gazette (Schenectady, N.Y.). "Art Garfunkel scheduled for Egg concert Nov. 16". September 28, 2002, p. C6. Retrieved on July 22, 2013.
  6. ^ Warren Bernhardt | Album Discography | AllMusic”. AllMusic. 2016年9月20日閲覧。

外部リンク 編集