ウチェナ・エメドル

ナイジェリアの陸上競技選手 (1976 - )

ウチェナ・エメドルUchenna Emedolu1976年9月17日 ‐ )は、ナイジェリアアナンブラ州出身で短距離走を専門にしていた元陸上競技選手。100mで9秒97、200mで20秒31の自己ベストを持つ。2004年アテネオリンピック男子4×100mリレーの銅メダリストである。

ウチェナ・エメドル Portal:陸上競技
選手情報
ラテン文字 Uchenna Emedolu
国籍 ナイジェリアの旗 ナイジェリア
競技 陸上競技 (短距離走)
種目 100m, 200m
生年月日 (1976-09-17) 1976年9月17日(47歳)
出身地 ナイジェリアの旗 アナンブラ州
身長 183cm
体重 87kg
成績
オリンピック 100m 準決勝1組8着 (2004年)
200m 2次予選2組8着 (2000年)
4x100mR 3位 (2004年)
世界選手権 100m 6位 (2003年)
200m 8位 (2003年)
4x100mR 4位 (2003年)
地域大会決勝 コモンウェルスゲームズ
100m 2位 (2002年)
200m 6位 (2006年)
4x100mR 6位 (2002年)
自己ベスト
60m 6秒66 (2002年)
100m 9秒97 (2003年)
200m 20秒31 (2002年)
20秒22w (2005年)
獲得メダル
陸上競技
ナイジェリアの旗 ナイジェリア
オリンピック
2004 アテネ 4x100mR
コモンウェルスゲームズ
2002 マンチェスター 100m
アフリカ競技大会
2003 アブジャ 200m
2003 アブジャ 100m
2007 アルジェ 100m
アフリカ選手権
2002 ラデス 4x100mR
2006 バンブース 4x100mR
2006 バンブース 200m
2002 ラデス 100m
2006 バンブース 100m
2008 アディスアベバ 100m
ワールドアスレチックファイナル
2003 モナコ 100m
アフリカ
ワールドカップ
2002 マドリード 100m
2002 マドリード 4x100mR
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経歴 編集

2001年 編集

8月のエドモントン世界選手権に出場すると、男子100mは1次予選を10秒18(0.0)の全体2位、2次予選は風速計の故障で公認記録にならなかったものの10秒06の好タイム(全体10位)で突破し、世界大会の個人種目で初のセミファイナリストになった。準決勝では組4着までに入れば決勝に進出できたが、結果は10秒29(-1.7)の組5着(当時)に終わり[注 1]、組4着とは0秒05差で決勝進出を逃した[1]。男子200mでもセミファイナリストとなったが、決勝進出をかけた準決勝は20秒40(+0.7)の組7着で敗退した[2]。アンカーを務めた男子4×100mリレーは準決勝で39秒05の組5着(当時)に終わり[注 1]、組4着とは0秒08差で決勝進出を逃した[3]

2002年 編集

7月のコモンウェルスゲームズに出場すると、男子100m決勝で10秒11(+0.2)をマークしてキム・コリンズ(9秒98)に次ぐ2位に入り、主要国際大会で初のメダルとなる銀メダルを獲得した。

9月のワールドカップにアフリカ大陸代表として出場すると、男子100mは10秒06(-0.3)の自己ベスト(当時)をマークしてキム・コリンズに同タイム着差ありで競り勝ち[4]、100mでは男女通じて初のアフリカ人王者となった[5]。男子4×100mリレーではアフリカチーム(イドリッサ・サヌー、エメドル、アジズ・ザカリフランク・フレデリクス)の2走を務め、38秒63をマークしての3位に貢献した[6]

2003年 編集

8月のパリ世界選手権に出場すると、男子100mは前回大会に続いてセミファイナリストになり、準決勝を10秒15(+0.5)の組3着(当時)で突破[注 1]オリンピック世界選手権を通じて初のファイナリストとなったが、決勝は10秒22の8位(当時)に終わった[注 2][7]。男子200mでも前回大会に続いてセミファイナリストとなると、準決勝を20秒44(0.0)の組4着で突破し、100mと同じくファイナリストとなったが、決勝は20秒62(+0.1)の8位に終わった[8]。男子4×100mリレーでも決勝に進出すると、決勝で2走(オルソジ・ファスバ、エメドル、Musa Deji、デジ・アリウ)を務め、38秒89をマークしての5位(当時)に貢献した[注 3][9]

10月のアフリカ競技大会に出場すると、男子100mの決勝では自身初の9秒台となる9秒97(+0.6)をマークしたが、デジ・アリウに0秒02差で敗れ銀メダルに終わった。男子200m決勝では20秒42(-0.9)をマークし、フランク・フレデリクス(20秒43)、アジズ・ザカリ(20秒51)らを破り初優勝を成し遂げた。

2004年 編集

8月のアテネオリンピックに出場すると、男子100mはセミファイナリストになるも10秒35(-1.6)の組8着に終わり決勝には進めなかった[10]。男子4×100mリレーでは2走(オルソジ・ファスバ、エメドル、アーロン・エベレ英語版、デジ・アリウ)を務め、予選を38秒27の全体2位で突破すると、決勝では38秒23をマークしてイギリス(38秒07)、アメリカ(38秒08)に次ぐ3位に入り[11]、この種目では1992年バルセロナ大会以来のメダルとなる銅メダル獲得に貢献した。

人物・エピソード 編集

1997年後半まで陸上とサッカーを掛け持ちしていた。1998年に完全にサッカーに集中するためマルタに渡りサッカークラブの入団テストを受けるも良い結果は得られず、1999年に帰国したエメドルはサッカーのスパイクを売り払い陸上に集中することを決めた[5]

自己ベスト 編集

記録欄の( )内の数字は風速m/s)で、+は追い風を意味する。

種目 記録 年月日 場所 備考
屋外
100m 9秒97 (+0.6) 2003年10月12日   アブジャ
200m 20秒31 (+0.4) 2002年9月8日   リエーティ
20秒22w (+4.3) 2005年8月9日   ヘルシンキ 追い風参考記録
室内
60m 6秒66 2002年2月3日   シュトゥットガルト
200m 20秒84 2002年2月3日
2002年2月24日
  シュトゥットガルト
  リエヴァン

主要大会成績 編集

大会 場所 種目 結果 記録 備考
2000 オリンピック   シドニー 200m 2次予選 20秒93 (0.0)
4x100mR 準決勝 DNF (1走)
2001 世界選手権   エドモントン 100m 準決勝 10秒29 (-1.7)
200m 準決勝 20秒40 (+0.7)
4x100mR 準決勝 39秒05 (4走)
2002 コモンウェルスゲームズ (en   マンチェスター 100m 2位 10秒11 (+0.2)
200m 2次予選 DQ
4x100mR 6位 39秒01 (4走)
アフリカ選手権 (en   ラデス 100m 2位 10秒00 (+3.8)
4x100mR 優勝 39秒76 (4走)
200m 予選 DNS
ワールドカップ (en   マドリード 100m 優勝 10秒06 (-0.3) アフリカ大陸代表
4x100mR 3位 38秒63 (2走) アフリカ大陸代表[注 4]
2003 世界室内選手権   バーミンガム 200m 予選 DNS
世界選手権   パリ 100m 6位 10秒22 (0.0)
200m 8位 20秒62 (+0.1)
4x100mR 4位 38秒89 (2走)
ワールドアスレチック
ファイナル
 (en
  モナコ 100m 3位 10秒08 (+1.9)
アフリカ競技大会 (en   アブジャ 100m 2位 9秒97 (+0.6) 10秒の壁を突破
200m 優勝 20秒42 (-0.9)
2004 オリンピック   アテネ 100m 準決勝 10秒35 (-1.6)
4x100mR 3位 38秒23 (2走)
2005 世界選手権   ヘルシンキ 100m 準決勝 10秒16 (-1.0)
200m 2次予選 DNF
4x100mR 予選 39秒29 (2走)
2006 コモンウェルスゲームズ (en   メルボルン 100m 4位 10秒22 (+0.9)
200m 6位 20秒66 (+0.5)
4x100mR 予選 DNF (2走)
アフリカ選手権 (en   バンブース 100m 2位 10秒44 (-2.9)
4x100mR 優勝 39秒63 (2走)
200m 優勝 20秒61 (-1.5)
ワールドカップ (en   アテネ 100m 4位 10秒14 (+1.1) アフリカ大陸代表
4x100mR 5位 38秒87 (2走) アフリカ大陸代表[注 5]
2007 アフリカ競技大会 (en   アルジェ 100m 3位 10秒37 (+0.6)
200m 予選 DNS
2008 アフリカ選手権 (en   アディスアベバ 100m 2位 10秒21 (+1.2)
4x100mR 決勝 DNF (3走)
オリンピック   北京 100m 1次予選 10秒46 (-0.1)
4x100mR 予選 DNF (4走)

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ a b c ティム・モンゴメリのドーピング処分により、最終的に順位が1つ繰り上がった。
  2. ^ ティム・モンゴメリとドウェイン・チェンバースのドーピング処分により、最終的に順位が2つ繰り上がった
  3. ^ ドウェイン・チェンバースのドーピング処分により、最終的に順位が1つ繰り上がった。
  4. ^ 混成チーム。1走はブルキナファソイドリッサ・サヌー、3走はガーナアジズ・ザカリ、4走はナミビアフランク・フレデリクス
  5. ^ 混成チーム。1走はナイジェリアAdetoyi Durotoye、3走はモーリシャスステファン・バックランド、4走はガーナエリック・ヌカンサー

出典 編集

外部リンク 編集