ウンベルト・ボッチョーニ

イタリアの画家、彫刻家 (1882-1916)

ウンベルト・ボッチョーニUmberto Boccioni1882年10月19日 - 1916年8月17日)はイタリア画家彫刻家、理論家。彼はマルクス主義者のアナキストであり、未来派の主要メンバーでもあった。

ウンベルト・ボッチョーニ
Umberto Boccioni
自画像
誕生日 1882年10月19日
出生地 レッジョ・ディ・カラブリア
死没年 (1916-08-17) 1916年8月17日(33歳没)
死没地 ヴェローナ
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生涯 編集

1882年10月19日、レッジョ・カラブリアに生まれる。生後すぐに家族はフォルリへ移住し、この地で幼年期を過ごした。

1901年、ローマの美術アカデミーのヌードコースに通い[1]、美術を学んだ。ポスター画家のジョヴァンニ・マタローニにも学んだ[2]

1906年には、パリに移住し、印象派ポスト印象派の作風で表現活動をおこなった。1907年、ミラノへ移住後、詩人 マリネッティ[3]や色彩分離派(ディヴィジョニスモ)の画家たちと交流した。未来派に参加するまでのボッチョーニはイタリア各地を旅し、多くの美術館を訪れ、ミケランジェロのような古い時代の画家の作品を研究し、ミラノで活動しロンバルディアの風景を描いたフランチェスコ・フィリピーニ(1853-1895)の作品からも影響を受けて、フィリピーニのスタイルの風景画を描いていた。

1910年、カルロ・カッラルイージ・ルッソロジャコモ・バッラジーノ・セヴェリーニとともに、未来派宣言, 未来派画家宣言、未来派運動の技術宣言を発表した。彼らによれば、近代のアーティストの目標は、モデルや過去の具象美術の伝統の束縛から、自由となって、同時代のダイナミックで発展し続ける社会へと、決然と進んで行くことだとされた。

第一次大戦の布告に伴って、ボッチョーニはヴェローナ近郊のソルテで砲兵連隊に入隊する。1916年8月16日、騎兵隊訓練中に落馬して馬に踏みつけられ、その翌日に33歳で死亡した。

作品 編集

絵画作品 編集

彫刻作品 編集

脚注 編集

  1. ^ Ester Coen (1989). Umberto Boccioni. New York: The Metropolitan Museum of Art. pp. xiii–xvi. ISBN 0870995227.
  2. ^ Coen, Ester, Boccioni (1988, New York: Museum of Modern Art), p. 209, footnoted by translator in Severini, Gino, The Life of a Painter (1995, Princeton University Press; translated by Franchina, Jennifer).
  3. ^ 1876-1944作家、詩人、批評家。未来派のオーガナイザーだった

関連項目 編集