ウード5世フランス語:Eudes V, 1062年ごろ - 1093年)は、トロワ伯およびモー伯(在位:1089年 - 1093年)[1]。ブロワ伯ティボー3世とアデル・ド・ヴァロワの息子[2]。弟ユーグが領地を継承した[1]

ウード5世
Eudes V
トロワ伯
モー伯
在位 1089年 - 1093年

出生 1062年ごろ
死去 1093年
家名 ブロワ家
父親 ブロワ伯ティボー3世
母親 アデル・ド・ヴァロワ
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生涯 編集

ウードは1077年にクリュニー修道院長ユーグから洗礼を受けた[3]

ティボー3世1089年に死去し、異母兄エティエンヌ2世がブロワ、シャトーダンシャルトルおよびモーの伯領と、サンセールサン=フロランタンプロヴァンモントロー英語版、ヴェルテュ、ウルシー=ル=シャトー、シャトー=ティエリ、シャティオン=シュル=マルヌおよびシャヴォ=クルクールを継承した。一方、ウードはトロワ伯領を継承した。次兄フィリップは聖職の道を歩み、シャロン=シュル=マルヌ司教となった。そして、弟ユーグは成人まで領地は与えられなかった[3]

短い治世の間、ウードは寛大で、モレーム修道院、モンティエアンデア修道院およびトロワのサン=カンタン修道院に対してを含め、多くの寄付を行った[3]

また、ウードは1090年パリフランス王フィリップ1世が発行した特許状に署名しており、その特許状ではフィリップ1世はランスのサン=レミ聖堂の所有物および義務の免除について追認している[3]

ウードは恐らく1093年に未婚で子供がないまま死去し、トロワ伯領は弟ユーグが継承した[3]

参考文献 編集

  1. ^ a b Theodore Evergates, The Aristocracy in the County of Champagne, 1100-1300, (University of Pennsylvania Press, 2007), 7.
  2. ^ Theodore Evergates, The Aristocracy in the County of Champagne, 1100-1300, 248.
  3. ^ a b c d e Marie Henry d'Arbois de Jubainville, Histoire des Ducs et Comtes de Champagne, 1865.
先代
ティボー3世
トロワ伯
1089年 - 1093年
次代
ユーグ