エドガー・レンテリア

コロンビアの野球選手 (1975 - )

エドガル・エンリケ・レンテリア・エラソEdgar Enrique Rentería Herazo, 1975年8月7日 - )は、コロンビアアトランティコ県バランキージャ出身の元プロ野球選手遊撃手)。右投右打。

エドガー・レンテリア
Edgar Rentería
シンシナティ・レッズ時代
(2011年6月25日)
基本情報
国籍  コロンビア
出身地 アトランティコ県バランキージャ
生年月日 (1975-08-07) 1975年8月7日(48歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手
プロ入り 1992年 アマチュア・フリーエージェントとしてフロリダ・マーリンズと契約
初出場 1996年5月10日
最終出場 2011年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム コロンビアの旗 コロンビア
WBC 2013年

略歴 編集

マーリンズ時代 編集

1992年フロリダ・マーリンズへ入団した。

1996年5月10日メジャーデビューを果たし、コロンビア人として史上4人目のメジャーリーガーとなった[1]。6月までの打率は.248だったが[2]、7月のオールスターゲーム以降は打率.334を記録し、7月25日から8月16日にかけて球団記録を更新する22試合連続安打を記録した[1]。また、新人選手としては1989年の30試合連続安打を記録したジェローム・ウォルトン以来の長さだった[1]新人王の投票ではトッド・ホランズワースに次ぐ2位に終わった。

1997年、154試合に出場し、リーグ2位の143単打、リーグ1位の19個の犠牲バントを記録し、守備では遊撃手としてリーグ1位の242刺殺を記録した[3]。この年のプレーオフ初戦となるジャイアンツ戦では、1-1で迎えた9回裏2死満塁の場面で、一二塁間を破るサヨナラヒットを打っている。この勢いそのままにチームはワールドシリーズに出場するが、レンテリア本人はコロンビア人として初めてのワールドシリーズに出場した選手となった。シリーズはインディアンスを相手に第7戦までもつれ込み、2-2で迎えた延長11回裏2死満塁の場面でチャールズ・ナギーからセンター前に優勝を決めるサヨナラヒットを打った[4]。このようにポストシーズン初戦と最終戦でサヨナラヒットを放っており、勝負強さを印象づける事となった。ちなみに、1997年はレギュラーシーズンでも4本のサヨナラヒットを放っている。

1998年7月7日、コロンビア人として初めてオールスターゲームに出場した[5]。この年リーグ4位の41盗塁を記録したが、リーグ最多の22盗塁死した。

カージナルス時代 編集

1998年12月14日ブレイデン・ルーパーパブロ・オズーナとのトレードで、セントルイス・カージナルスへ移籍した。

1999年は、154試合に出場し、打率.275、自己最多となる11本塁打、63打点を記録した。

2000年には16本塁打、76打点と自己最多を更新し、シルバースラッガー賞を初めて受賞した。

2001年、打率.260自己ワーストとなったが、2002年、遊撃手としてリーグ1位の打率.305、83打点を記録し[6]、2回目のシルバースラッガー賞を受賞し、初めてゴールドグラブ賞を受賞した。MVPの投票では20位に入った。

 
ブレーブス時代(2007年)

2003年は、リーグ4位の打率.330を記録し、194安打、47二塁打、100打点は遊撃手としての球団記録となった[7]。また、球団史上初めてとなる2年連続でシルバースラッガー賞とゴールドグラブ賞を受賞した[7]

2004年には2度目のワールドシリーズ出場を果たすが、レッドソックスに4連敗を喫してしまう。しかも第4戦の最後のバッターとなった(投ゴロ)。ワールドシリーズで2回も最後のバッターになったのは史上3人目だった。

レッドソックス時代 編集

2004年オフに、フリーエージェントでボストン・レッドソックスへ4年総額4,000万ドルで移籍した[8]

レッドソックスでは攻守に精彩を欠き、30失策と2005年のMLB全体で最も多く[9]、8年ぶりに三振数が100を上回り、7年ぶりの1桁本塁打と不振に終わった。

ブレーブス時代 編集

2005年オフにアンディ・マルテとの交換トレードという半ば放出の形[10]ラファエル・ファーカルの後釜としてアトランタ・ブレーブスへ移籍した。

2006年4月16日から4月27日にかけて左肋骨を痛め欠場したが[11]、開幕から5月9日にかけて23試合連続安打を記録した。開幕からの記録ではフェリペ・アルーの16試合連続の球団記録を更新し[11]1976年ロン・ルフロアが記録した30試合連続に次ぐメジャー歴代2位になった[12]。また、前年の最終戦で安打を記録しており、2年越しの24試合連続安打は自己最長記録となった。オールスターゲームに2年ぶりに選出され、守備では失策を13まで減らした。

 
タイガース時代(2008年)

2007年は右足首の捻挫によって2回故障者リスト入りし、その間に30試合を欠場し、出場試合数はデビュー年以来の少なさとなったが、8月以外の月は全て3割以上の打率を記録し、自己最高の打率.332(リーグ4位)を記録した。

タイガース時代 編集

2007年10月28日にジェイアー・ジャージェンス投手とゴーキース・ヘルナンデス外野手プラス金銭とのトレードでデトロイト・タイガースへ移籍した。

2008年は、遊撃手のカルロス・ギーエンが一塁に転向され、レンテリアが遊撃を守ることになった。しかし開幕から打撃不振に陥り、自慢の守備でも緩慢な動きを見せ、1000万ドルのオプションを破棄されFAとなった。

ジャイアンツ時代 編集

2008年12月4日、正遊撃手のオマー・ビスケルが退団したサンフランシスコ・ジャイアンツと2年総額1,850万ドルで契約した[13]

2009年はかつてない不振に陥り、デビュー以来最低の成績に終わった。

2010年は序盤こそ打撃好調だったが、相次ぐ故障で72試合の出場に終わり、9月には今季限りでの引退を考えていることを明かした[14]。ポストシーズンには遊撃のレギュラーとして出場。テキサス・レンジャーズとのワールドシリーズでは、第5戦にクリフ・リーから決勝の3ランホームランを放つなど、打率.412の活躍でジャイアンツの56年ぶり世界一に貢献し、ワールドシリーズMVPに選ばれた[15]。異なる2度以上のワールドシリーズ優勝決定試合で決勝打を放った選手は、これまでにルー・ゲーリッグジョー・ディマジオヨギ・ベラの3人しかおらず、レンテリアが史上4人目となった。

レッズ時代 編集

2011年は、シンシナティ・レッズでプレーした。オフに退団した。

レッズ退団後と現役引退 編集

2012年は、1年間どのチームでもプレーしなかった。 また11月には、第3回WBC予選のコロンビア代表に選出された[16]

2013年3月22日に、現役引退を表明した[17]

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
1996 FLA 106 471 431 68 133 18 3 5 172 31 16 2 2 3 33 0 2 68 12 .309 .358 .399 .757
1997 154 691 617 90 171 21 3 4 210 52 32 15 19 6 45 1 4 108 17 .277 .327 .340 .667
1998 133 580 517 79 146 18 2 3 177 31 41 22 9 2 48 1 4 78 13 .282 .347 .342 .689
1999 STL 154 653 585 92 161 36 2 11 234 63 37 8 6 7 53 0 2 82 16 .275 .334 .400 .734
2000 150 643 562 94 156 32 1 16 238 76 21 13 8 9 63 3 1 77 19 .278 .346 .423 .769
2001 141 549 493 54 128 19 3 10 183 57 17 4 8 6 39 4 3 73 15 .260 .314 .371 .685
2002 152 609 544 77 166 36 2 11 239 83 22 7 7 5 49 7 4 57 17 .305 .364 .439 .803
2003 157 663 587 96 194 47 1 13 282 100 34 7 3 7 65 12 1 54 21 .330 .394 .480 .874
2004 149 642 586 84 168 37 0 10 235 72 17 11 6 10 39 5 1 78 14 .287 .327 .401 .728
2005 BOS 153 692 623 100 172 36 4 8 240 70 9 4 6 5 55 0 3 100 15 .276 .335 .385 .720
2006 ATL 149 673 598 100 175 40 2 14 261 70 17 6 8 2 62 0 3 89 17 .293 .361 .436 .797
2007 124 543 494 87 164 30 1 12 232 57 11 2 2 0 46 0 1 77 14 .332 .390 .470 .860
2008 DET 138 547 503 69 136 22 2 10 192 55 6 3 2 5 37 1 0 64 19 .270 .317 .382 .699
2009 SF 124 510 460 50 115 19 1 5 151 48 7 2 5 5 39 5 1 69 17 .250 .307 .328 .635
2010 72 267 243 26 67 11 2 3 91 22 3 0 2 1 21 3 0 43 8 .276 .332 .374 .707
2011 CIN 96 333 299 34 75 14 0 5 104 36 4 2 6 3 24 0 1 65 7 .251 .306 .348 .654
MLB:16年 2152 9066 8142 1200 2327 436 29 140 3241 923 294 108 99 76 718 42 31 1182 241 .286 .343 .398 .741
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰 編集

代表歴 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c 1996 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年2月3日閲覧。
  2. ^ Edgar Renteria 1996 Batting Gamelogs - Baseball-Reference PI” (英語). 2008年2月3日閲覧。
  3. ^ 1997 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年2月3日閲覧。
  4. ^ October 26, 1997 World Series Game 7 at Dolphin Stadium Box Score and Play by Play - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年2月3日閲覧。
  5. ^ 1998 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年2月3日閲覧。
  6. ^ 2002 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年2月3日閲覧。
  7. ^ a b 2003 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年2月3日閲覧。
  8. ^ The Official Site of The Boston Red Sox: News: Boston Red Sox News Renteria dealt to Braves Shortstop and cash sent to Atlanta for prospect Marte” (英語). 2008年2月3日閲覧。
  9. ^ Edgar Renteria 2005 Career Highlights” (英語). 2008年5月20日閲覧。
  10. ^ 村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、283頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  11. ^ a b 田尻賢誉「30チーム・レポート&全選手個人成績 アトランタ・ブレーブス/ATL ナ・リーグで水を得た魚」『スラッガー』2006年7月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-7、79頁
  12. ^ 2006 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年2月3日閲覧。
  13. ^ Associated Press (2008年12月5日). “Giants sign Renteria to $18.5M deal” (英語). ESPN.com. 2008年12月7日閲覧。
  14. ^ Henry Schulman (2010-09-24), [Giants beat: Renteria considering retirement],San Francisco Chronicle(英語), 2010年11月2日閲覧
  15. ^ Tom Singer (2010-11-01), Edgar Rings-eria! Series MVP is clutch again, MLB.com(英語), 2010年11月2日閲覧
  16. ^ 2012 Qualifier Roster WBC公式サイト (英語) 2015年2月24日閲覧
  17. ^ Edgar Renteria To Retire

関連項目 編集

外部リンク 編集