エドワード・コルストン (ウェルズ選挙区の庶民院議員)

イギリスの政治家

エドワード・コルストン英語: Edward Colston1672年以降 – 1719年4月5日)は、グレートブリテン王国庶民院議員。トーリー党所属[1]。奴隷商人で同名のエドワード・コルストンは伯父にあたる。

生涯 編集

ロバート・コルストン(Robert Colston)とアン・ウォーターズ(Ann Waters、ロバート・ウォーターズの娘)の息子として生まれた[1]ロンドンで商業を生業とした[2]

1705年イングランド総選挙ブリストル選挙区英語版から出馬、同名の伯父エドワード・コルストンも支持を表明したが、結局落選している[3]。このとき、伯父がまず出馬を求められたが辞退したため、代わりに甥のほうが出馬したとされる[3]1708年イギリス総選挙ではウェルズ選挙区英語版の現職2名が1人は不出馬、1人はカウンティ選挙区のサマセット選挙区英語版に鞍替えしたため、コルストンがトーリー党候補として出馬して、無投票で当選した[2]。議会では1709年から1710年にかけての会期にヘンリー・サシェヴェレル英語版の弾劾に反対票を投じ、1711年にスペイン継承戦争の講和に賛成、1713年6月にフランスとの通商法案に賛成票を投じた[1]1713年イギリス総選挙に出馬せず、議員を退任した[1]

1719年4月5日に死去、ブリストル諸聖人教会英語版に埋葬された[1]

家族 編集

1704年8月4日にメアリー・ド・バート(Mary De Bert、1733年没)と結婚、1女をもうけた[1]

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g Hanham, Andrew A. (2002). "COLSTON, Edward I (aft.1672-1719), of Bristol". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年6月13日閲覧
  2. ^ a b Watson, Paula; Hanham, Andrew A. (2002). "Wells". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年6月13日閲覧
  3. ^ a b Hanham, Andrew A. (2002). "Bristol". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年6月13日閲覧
  4. ^ Hanham, Andrew A. (2002). "COLSTON, Edward II (1636-1721), of Mortlake, Surr.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年6月13日閲覧
グレートブリテン議会英語版
先代
ヘンリー・シーモア・ポートマン英語版
モーリス・バークリー
庶民院議員(ウェルズ選挙区英語版選出)
1708年1713年
同職:ウィリアム・カワード
次代
トマス・ストラングウェイズ・ホーナー英語版
モーリス・バークリー