エド・マンEd Mann1954年1月14日 - )は、「子供の頃からドラマーでピアノをかじっていた」ミュージシャンである[1]。1977年から1988年にかけてフランク・ザッパのアンサンブルのステージでマレット・パーカッションを演奏したことと、スタジオ録音とザッパ・バンドのライブの両方で、ザッパの30枚以上のアルバムに参加したことで最もよく知られている。マンはバンドリーダーおよび作曲家としても数多くのCDをリリースしている。

エド・マン
Ed Mann
エド・マン(2007年)
基本情報
生誕 (1954-01-14) 1954年1月14日(70歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジャンル フュージョンジャズ
職業 ミュージシャン作曲家音楽プロデューサー
担当楽器 マレット・パーカッションキーボード
活動期間 1975年 -
共同作業者 フランク・ザッパ
公式サイト www.edmannmusic.com

キャリア 編集

マンは、1973年半ばにトミー・マーズと共にバンドを結成した。その年の終わりまで、カリフォルニア芸術大学でジョン・ベルガモに師事していた。1977年、フランク・ザッパはベルガモにアルバム『ザッパ・イン・ニューヨーク』のオーバーダビングを依頼し、ベルガモの方はマンを推薦した。

数か月後、ルース・アンダーウッドがマンに、ザッパが2人目のキーボード奏者を探していると語った。マンがトミー・マーズを推薦するために電話をかけると(「真夜中、電話でフランクに連絡できる唯一の時間だ」)、ザッパはマンのことを家に来るよう誘った。マンはテリー・ボジオパトリック・オハーンエイドリアン・ブリューがザッパとジャムをしている家へと赴いた。午前2時までエドはバンドにいた。「すべてを理解するのに数日かかった」と、マンは後にコメントしている。

J21のアルバム『Yellow Mind:Blue Mind』では、マンがゴングを演奏しているのを聴くことができる。

マンは、2014年半ばまで、ロバート・マーティン、チャド・ワッカーマン、アルバート・ウィング、トム・ファウラー、レイ・ホワイト、ラルフ・ハンフリーといった多くのザッパ卒業生を長年にわたってフィーチャーしてきたザ・バンド・フロム・ユートピアのメンバーを務めた。2008年、エド・マンはプロジェクト・オブジェクトとともにツアーを行い、ニューヨーク・ハーヴェスト・フェスティバルとフリーダム・ラリーにおいてエージェント・ムースヘッドに参加した。2013年、マンはザッパの音楽をハモンドオルガン中心にしてジャズ・ファンクの伝統に適応させたオルガン、ギター、ドラムのトリオ、ザ・Z3でパーカッションとエレクトロニクスの演奏を始めた。マンは『The White Album』で演奏し、「Apple A Day」という曲で名演とされるパフォーマンスを披露した。また、マンはデヴィッド・アーヴェドンのアルバム2枚で演奏している。

マンは、2015年秋のワームタウン・ミュージック・フェスティバルにおいて、北東部のブルーグラススタファリアン・ジャム・バンド、デザート・レインのセットに参加した。それ以来、彼は北東部各地のクラブでグループに参加している。

2016年7月、マンはマイク・ディロンのアメリカ北東部ツアーの3日間に参加した。

ディスコグラフィ 編集

ソロ・アルバム 編集

  • 『ゲット・アップ』 - Get Up (1988年、CMP)
  • 『パーフェクト・ワールド』 - Perfect World (1991年、CMP)
  • Global Warming (1994年、Interworld Music Associates) ※with ブライアン・ハンド
  • Have No Fear (1997年、CMP)
  • (((GONG))) Sound Of Being (1998年、Ancient Voices)

フランク・ザッパ 編集

マンのパフォーマンスは、ザッパの映画『ベイビー・スネイクス』『ダブ・ルーム・スペシャル』『Video from Hell』で観ることができる。

脚注 編集

  1. ^ Ed mann”. 2024年1月9日閲覧。

外部リンク 編集