エリック・ガニエ

カナダの野球選手 (1976-)

エリック・セルジュ・ガニエÉric Serge Gagné , 1976年1月7日 - )は、カナダ連邦ケベック州モントリオール出身のプロ野球選手投手)。右投右打。フランス系カナダ人

エリック・ガニエ
Éric Gagné
ミルウォーキー・ブルワーズでの現役時代
(2008年4月12日)
基本情報
国籍 カナダの旗 カナダ
出身地 ケベック州モントリオール
生年月日 (1976-01-07) 1976年1月7日(48歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
240 lb =約108.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1995年 アマチュアFA
初出場 1999年9月7日 フロリダ・マーリンズ
最終出場 2008年9月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム カナダの旗 カナダ
WBC 2017年

84試合連続セーブ成功記録を持つ、MLB史上屈指のリリーフ投手。2002年 - 2004年の3年間で158セーブ機会中152セーブ成功を記録し、セーブ王となった2003年シーズンには非先発型投手ながらサイ・ヤング賞を受賞、メジャーを代表する抑え投手となった。しかし2005年頃からは故障が相次ぎ、その後は多くの球団を渡り歩きつつ再起を図るも、往時の輝きを取り戻せないまま2010年に現役を引退。その後、2015年と16年に独立リーグで現役復帰している。

ずんぐりとした太目の体型、あごひげとゴーグルタイプの眼鏡、塩をふいている汚い帽子がトレードマークだった。

経歴 編集

プロ入り前 編集

カナダのケベック州モントリオールフランス系の家族に生まれる。モントリオールの郊外で育ち、少年時代は野球よりもアイスホッケーに熱中していた[1]

高校時代に投手としてジュニア世界選手権に出場。当時はフランス語しか話せなかったが、オクラホマ州にあるセミノール短大で投手として活躍しながら英語を身に付ける[2]

1994年MLBドラフトシカゴ・ホワイトソックスから30巡目(全体845位)で指名されたが、契約には至らなかった。

プロ入りとドジャース時代 編集

1995年ロサンゼルス・ドジャースと契約を結びプロ入りを果たした。

1997年は肘の故障のためトミー・ジョン手術を受けた。これにより、1シーズンをリハビリで棒に振った。リハビリが辛く、アイスホッケーへ転向するか悩み、バーモント大学からはアイスホッケー選手として奨学金の提示されるも野球を選択した[1]

1999年9月7日のフロリダ・マーリンズ(現:マイアミ・マーリンズ)戦で、メジャーデビューを果たす。同年は5試合の先発登板のみに留まった。

2001年までの3年間は、58試合中48試合に先発、11勝14敗の成績であった。

2002年のスプリング・トレーニングで他の先発投手が好調なためリリーフに転向を言い渡された[1]。シーズン4試合目の登板となった4月7日にメジャー初セーブを記録して以降、セーブを量産し、MLB史上最速で20セーブ(56試合)・30セーブ(82試合)で達成[3]ジョン・スモルツの55セーブに次ぐ52セーブを挙げ、トッド・ウォーレル1996年に記録した44セーブの球団記録を更新した[3]。114奪三振を記録し、リリーフとしてはオクタビオ・ドーテルの118奪三振に次ぐ多さで、球団史上歴代3位に入った[3]。オフには日米野球のMLB選抜の一員として来日した。

2003年は、55セーブを挙げ前年スモルツが記録したリーグ記録に並び、奪三振率14.98はビリー・ワグナーが1999年に14.95を記録したMLB記録を更新した[4]。シーズン47セーブ目となった9月2日には連続セーブ記録を55まで伸ばし、トム・ゴードンのMLB記録を更新[1]。シーズン48セーブ目となった9月5日に通算100セーブを達成。クローザーとしてはデニス・エカーズリー以来11年ぶりにサイ・ヤング賞を受賞[5]

2004年7月5日に2002年8月26日から続いた連続セーブ記録が84で途切れた[6]。7月15日には、対ダイヤモンドバックス戦で通算130セーブを達成し、通算セーブ数の球団記録を更新した。この年45セーブを記録し、過去3年間で152セーブとエカーズリーが1990年からの3年間で142セーブのMLB記録を更新した[6]

ドジャー・スタジアムでは、ガニエが登板するとガンズ・アンド・ローゼズの "Welcome to the Jungle" がかかり、電光掲示板には彼の似顔絵とともに "GAME OVER" (試合終了)と表示される演出がされるようになり、これが好評を博していた。

2005年1月に2年総額1,900万ドルで契約延長した[7]。シーズンでは、右肘靱帯を故障したため、14試合登板のみで戦線離脱した。6月にトミー・ジョン手術を受ける。このシーズンは以降ガニエが登板することはなかった。

2006年開幕前の3月に同年から開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のカナダ代表に選出されたが、辞退した。シーズンでは6月3日に初登板を果たすが、10日間で2試合に登板した後の13日に故障者リスト入り。7月4日には椎間板ヘルニアを患い、シーズンの残りを棒に振った。オフに故障が重なってほとんど登板できないガニエに代わって、クローザーに斎藤隆が定着したため、ドジャースは1,200万ドルのオプションを行使せず、フリーエージェント(FA)となった。

レンジャーズ時代 編集

2006年12月21日にテキサス・レンジャーズと600万ドルで出来高500万ドル1年契約を結んだ[8]

2007年は初めてアメリカンリーグで迎え、7月末まで34試合で2勝0敗16セーブ・防御率2.16の成績を残す。

レッドソックス時代 編集

2007年7月31日にボストン・レッドソックストレードされた。移籍後は防御率が6.75と不調に終わった。

ブルワーズ時代 編集

2007年12月9日、クローザーのフランシスコ・コルデロが移籍したミルウォーキー・ブルワーズはその後釜として1年1,000万ドルで契約した[9]。しかし、12月14日にMLBコミッショナーによりドーピングしていた疑いが強い事が発表された[10]

2008年は開幕からクローザーとして起用されるものの、6回のセーブ機会のうち、3回失敗し、ヨスト監督よりクローザー失格の烙印を押される[要出典]。また、7月31日のカブス戦でジム エドモンズに対して150kmの速球を故意に背中を狙って投球したとして退場を宣告された。その後、クローザーとしてまたも起用されたが、肩を痛めて、故障者リスト入りした。

独立リーグ時代 編集

2009年カナディアン・アメリカン・アソシエーションケベック・キャピタルズに所属すると、先発に転向したが成績は振るわなかった。

2010年は古巣ドジャースとマイナー契約を結んだ。オープン戦で防御率20.25と振るわず3月21日に自由契約となった[11]

引退後 編集

2010年4月に引退を表明した。

2012年第3回WBC予選のフランス代表のコーチを務めた。

2013年からはカナディアン・アメリカン・リーグに所属するトロワリヴィエール・エーグルスのオーナーに就任している。また、野球フランス代表の監督に就任した。

2014年9月はこの年初めて開催されたフランス国際野球大会第33回ヨーロッパ野球選手権大会のフランス代表監督を務めた。

2015年にはカナディアン・アメリカン・リーグのトロワリヴィエール・エーグルスで1試合のみの現役復帰を果たす[12]

2016年3月に第4回WBC予選のフランス代表監督を務めた。

2016年にもカナディアン・アメリカン・リーグのオタワ・チャンピオンズで登板した[13]

2017年2月8日第4回WBCカナダ代表に選出された[14]。同大会ではコロンビア戦で失点したが、球速は94mphを記録した。

投球スタイル 編集

 
レンジャーズ所属時のガニエ

96mph(約154km/h)前後の速球(最速は99mph)とカーブ、そして大きく落ちるチェンジアップが武器。これは "バルカンチェンジ" と呼ばれる。球速は87mph(約140.0km/h)以上にもなるため、スプリッターのようでもあるが、ガニエ本人は球速差でタイミングを狂わせる用途であるため、あくまでチェンジアップと呼んでいる。また、キレのあるスライダーも投げている。 ファストボールは年々、球速が落ちていった。2007年のレッドソックス時代は平均で94mph(151km)、 翌年の2008年のブルワーズに所属した際は93mph(150km)まで落ち込んだ。 更に球威も衰えたためファストボールを打ち込まれ、チェンジアップを多投したが、コントロールも衰えていたため与四球が多かった。 チェンジアップとカーブを投げる際はサイドに近いスリークォーターになる。(ファストボールでも稀にある)

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
1999 LAD 5 5 0 0 0 1 1 0 0 .500 119 30.0 18 3 15 0 0 30 1 0 8 7 2.10 1.10
2000 20 19 0 0 0 4 6 0 0 .400 464 101.1 106 20 60 1 3 79 4 0 62 58 5.15 1.64
2001 33 24 0 0 0 6 7 0 0 .462 649 151.2 144 24 46 1 16 130 3 1 90 80 4.75 1.25
2002 77 0 0 0 0 4 1 52 1 .800 314 82.1 55 6 16 4 2 114 1 0 18 18 1.97 0.86
2003 77 0 0 0 0 2 3 55 0 .400 306 82.1 37 2 20 2 3 137 2 0 12 11 1.20 0.69
2004 70 0 0 0 0 7 3 45 0 .700 326 82.1 53 5 22 3 5 114 2 0 24 20 2.19 0.91
2005 14 0 0 0 0 1 0 8 0 1.000 53 13.1 10 2 3 0 0 22 3 0 4 4 2.70 0.98
2006 2 0 0 0 0 0 0 1 0 ---- 8 2.0 0 0 1 0 1 3 0 0 0 0 0.00 0.50
2007 TEX 34 0 0 0 0 2 0 16 1 1.000 133 33.1 23 2 12 0 1 29 1 0 8 8 2.16 1.05
BOS 20 0 0 0 0 2 2 0 3 .500 89 18.2 26 1 9 0 0 22 0 0 14 14 6.75 1.88
'07計 54 0 0 0 0 4 2 16 4 .667 222 52.0 49 3 21 0 1 51 1 0 22 22 3.81 1.35
2008 MIL 50 0 0 0 0 4 3 10 7 .571 203 46.1 46 11 22 2 2 38 1 0 28 28 5.44 1.47
MLB:10年 402 48 0 0 0 33 26 187 12 .559 2664 643.2 518 76 226 13 33 718 18 1 268 248 3.47 1.16
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル 編集

表彰 編集

記録 編集

  • MLBオールスターゲーム選出:3回(2002年 - 2004年) 
  • 84試合連続セーブ成功 2002年8月28日 - 2004年7月3日(メジャー記録)
  • 打者10人連続奪三振 2003年5月17日 - 21日(メジャー記録)

代表歴 編集

コーチ歴 編集

監督歴 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d 三尾圭「セーブ王獲得記念特別企画 ギャニエー自身が語る「不沈間」の素顔」『スラッガー』2003年12月号、日本スポーツ企画出版社、2003年、雑誌 15509-12、42 - 47頁
  2. ^ Eric Gagne Biography” (英語). 2008年5月2日閲覧。
  3. ^ a b c Eric Gagne 2002 Career Highlights” (英語). 2008年5月2日閲覧。
  4. ^ Eric Gagne 2003 Career Highlights” (英語). 2008年5月2日閲覧。
  5. ^ リリーフ投手の受賞はガニエが21世紀唯一(2021年現在)
  6. ^ a b Eric Gagne 2004 Career Highlights” (英語). 2008年5月2日閲覧。
  7. ^ Dodgers, Gagne agree to $19M contract” (英語). ESPN.com. 2008年11月8日閲覧。
  8. ^ ESPN - Gagne to start on DL to get more work - MLB” (英語). 2008年5月2日閲覧。
  9. ^ The Official Site of The Milwaukee Brewers: News: Brewers ink Gagne to one-year deal” (英語). 2008年5月2日閲覧。
  10. ^ ミッチェル・レポート2007年12月19日閲覧。
  11. ^ Ken Gurnick,Dodgers release reliever Gagne,MLB.com(英語),2010/03/23閲覧
  12. ^ 2015 Trois-Rivieres Aigles Statistics -- Register” (英語). 2017年1月15日閲覧。
  13. ^ 2016 Ottawa Champions Statistics -- Register” (英語). 2017年1月15日閲覧。
  14. ^ Canada roster announced for 2017 World Baseball Classic Baseball Canada (英語) (2017年2月8日) 2017年3月16日閲覧

関連項目 編集

外部リンク 編集