エルンスト (オーストリア公)

エルンスト(Ernst, 1377年 - 1424年6月10日)は、ハプスブルク家内オーストリア公(在位:1406年 - 1424年)。シュタイアーマルクケルンテン、クラインを治めた。エルンスト鉄公(Ernst der Eiserne)と呼ばれる。神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の父。

エルンスト鉄公
Ernst der Eiserne
オーストリア公
在位 1406年 - 1424年

出生 1377年
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
シュタイアーマルク公国ブルック・アン・デア・ムーア
死去 1424年6月10日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
シュタイアーマルク公国、ブルック・アン・デア・ムーア
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
シュタイアーマルク公国、ライン修道院(グラーツ近郊)
配偶者 マルガレーテ・フォン・ポンメルン
  ツィンバルカ・マゾヴィエツカ
子女 フリードリヒ3世
マルガレータ
アルブレヒト6世
カタリーナ
家名 ハプスブルク家
父親 オーストリア公レオポルト3世
母親 ヴェルデ・ヴィスコンティ
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エルンスト鉄公の墓像

生涯 編集

内オーストリア公レオポルト3世と妻ヴェルデ・ヴィスコンティの間の三男で、長兄ヴィルヘルムの死後に所領を相続した。1392年ポメラニア公ボグスワフ5世の娘マルガレーテと結婚したが、子をもうけずに死別した。1412年マゾフシェ公シェモヴィト4世の娘ツィンバルカと結婚し、フリードリヒ3世(オーストリア大公としては5世)、アルブレヒト6世ら9子をもうけた。ちなみにシェモヴィト4世は、エルンストの兄ヴィルヘルムとの婚約を破棄されたポーランド女王ヤドヴィガがその後結婚相手の候補とした人物であった。

子女 編集

ツィンバルカとの間に以下の子女をもうけた。

先代
ヴィルヘルム
内オーストリア公
1406年 - 1424年
次代
フリードリヒ5世
アルブレヒト6世