エル・シグノ(El Signo)のリングネームで知られるアントニオ・サンチェス・レンドン(Antonio Sánchez Rendón、1953年9月4日 - )は、メキシコプロレスラーである。メキシコ、オアハカ州オコトランの出身。

エル・シグノ
プロフィール
リングネーム エル・シグノ
ピロマニアコ
本名 アントニオ・サンチェス・レンドン
ニックネーム 悪童[1]
身長 172cm
体重 98kg
誕生日 (1953-09-04) 1953年9月4日(70歳)
出身地 メキシコの旗 メキシコ
オアハカ州オコトラン
トレーナー ディアブロ・ベラスコ
デビュー 1972年2月1日
引退 2010年5月1日
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来歴 編集

1971年9月16日にオアハカ州でデビュー。デビュー当時はマスクマンであった。長らくUWA系、EMLL系のリングで活躍。1976年12月28日にメキシコシティにてエル・マテマティコを破りUWA世界ライト級王座を獲得。1979年6月24日にはティフアナボビー・リーからUWA世界ウェルター級王座を奪取した。

1970年代後半にはネグロ・ナバーロエル・テハノロス・ミシオネロス・デ・ラ・ムエルテLos Misioneros de la Muerte)を結成。ブラソ・デ・オロブラソ・デ・プラタエル・ブラソのロス・モスケテロス・デル・ディアブロと抗争を繰り広げた。1981年10月には新日本プロレスに初来日。以降1980年代に数度来日し、旧UWFの旗揚げシリーズにも参戦した。また、ユニバーサル闘龍門にも来日経験がある。

1995年にEMLLから独立したはAAAと契約。ピロマニアコPiromaniaco)のリングネームで活躍。1996年にはCMLLに復帰。1990年代後半からはセミリタイヤ状態になり、2010年5月1日にアレナ・ネサで引退興行が行われ引退した。

実子がエル・イホ・デル・シグノのリングネームで2008年にデビューしている。

得意技 編集

獲得タイトル 編集

LLI
EMLL

脚注 編集

  1. ^ 『'88プロレスオールスターSUPERカタログ』P81