エンリコ・ベルタッジア

エンリコ・ベルタッジアEnrico Bertaggia1964年9月19日 - )は、イタリアレーシングドライバーヴェネト州ノアーレ出身。1987年イタリアF3チャンピオン、1988年マカオグランプリ覇者。

エンリコ・ベルタッジア
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
出身地 同・ノアーレ
生年月日 (1964-09-19) 1964年9月19日(59歳)
F1での経歴
活動時期 1989,1992
所属チーム '89 コローニ
'92 アンドレア・モーダ
出走回数 6 (0スタート)
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1989年ベルギーGP
初勝利
最終勝利
最終戦 1989年オーストラリアGP
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経歴 編集

フランスのジャン・アレジ、イギリスのジョニー・ハーバートと並ぶ「花の1964年組」イタリアの新星として1987年にイタリアF3、1988年にマカオグランプリF3を制するなど、F1予備軍の筆頭としてレース関係者から注目を浴びた[1]

1989年、F1第11戦ベルギーGPからリアルに移籍したピエール=アンリ・ラファネルの後任としてイタリアのコローニと契約し最終戦オーストラリアGPまでF1参戦を果たすも、参戦した6戦すべて予備予選不通過に終わった。なお、コローニのシート獲得は、当初エリック・ヴァン・デ・ポールがコローニと契約していたが、F3000で3位入賞経験があった彼にスーパーライセンスの発給許可が下りなかったため、前年のF3タイトル獲得によりスーパーライセンス受給資格があったベルタッジアに話が回って来たものだった[2]

1990年に日本のフットワークと契約し、全日本F3000選手権にフル参戦した。当時の全日本F3000はエントリー台数も多く、予選用ハイグリップタイヤの存在など競争もハイレベルにあり、テスト走行を終えたベルタッジアは「クルマのバランスはとてもいいです。スロットルも踏めるだけ踏んで、精一杯攻めている」とF1コローニ時代にはない充実感だとコメントした[3]。第3戦西日本大会では3位表彰台を獲得した[4]

翌1991年も同体制で全日本参戦2年目を戦っていたが、第5戦鈴鹿大会直前にフットワーク・フォーミュラのF3000参戦が休止されてしまい、日本でのレース活動終了となった。

1992年にコローニを買収したアンドレア・モーダと契約してF1復帰を狙ったが、国際自動車スポーツ連盟(FISA)への保証金が未払いなどお粗末なチーム体制だった為、第2戦後にアレックス・カフィと共にチームを離脱し、1度も決勝を走ることもなくF1から姿を消すことになった。

その後はイギリスF2選手権、母国イタリアやドイツのツーリングカーレースに参戦[5]。1995年にはル・マン24時間レースに参戦し、クラス2位で完走を果たした[6]

レース戦績 編集

国際F3000選手権 編集

チーム シャーシ エンジン タイヤ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1988年 フォルティ・コルセ ダラーラ・3087 コスワース A JER
DNQ
VLL
DNQ
PAU
DNQ
SIL
DNQ
MNZ
7
PER
16
BRH
DNS
BIR
DNQ
BUG
DNQ
NC 0
ローラ・T88/57 ZOL
11
DIJ
Ret
1989年 ローラ・モータースポーツ マーチ・88B ジャッド SIL
DNQ
NC 0
ロジャー・カウマン・レーシング ローラ・T89/50 コスワース VLL
DNQ
PAU
DNQ
JER
19
PER BRH BIR SPA BUG DIJ
1993年 エース・レーシング レイナード・92D DON SIL PAU
DNQ
PER
5
HOC
DNQ
NÜR
20
SPA
Ret
MAG
Ret
NOG
12
17位 2

フォーミュラ1 編集

チーム シャシー タイヤ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 順位 ポイント
1989年 コローニSpA C3 P BRA SMR MON MEX USA CAN FRA GBR GER HUN BEL
DNPQ
ITA
DNPQ
POR
DNPQ
ESP
DNPQ
JPN
DNPQ
AUS
DNPQ
NC 0
1992年 アンドレア・モーダ C4B G RSA
EX
NC 0
S921 MEX
DNP
BRA ESP SMR MON CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR JPN AUS

全日本F3000選手権 編集

チーム シャシー エンジン タイヤ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1990年 フットワークレーシング ローラ・T89/50 (Rd.1-2)
ローラ・T90/50 (Rd.3-)
無限・MF308 D SUZ
14
FSW
11
MIN
3
SUZ
Ret
SUG
16
FSW
13
FSW
Ret
SUZ
Ret
FSW
14
SUZ
7
14位 4
1991年 ローラ・T90/50 SUZ
DNQ
AUT
16
FSW
21
MIN
16
SUZ SUG FSW SUZ FSW SUZ FSW NC 0

イギリス・フォーミュラ2選手権 編集

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
1992年 コブラ・モータースポーツ レイナード・92D コスワース OUL DON BRH THR BRH OUL SNE BRH
4
SIL
1
DON
Ret
7位 12

イタリア・スーパーツーリング選手権 編集

チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
1994年 トップラン アルファロメオ・155 MNZ
1

Ret
MNZ
2

DNS
VLL
1

8
VLL
2

Ret
MAG
1

12
MAG
2

8
BIN
1
BIN
2
MIS
1
MIS
2
VLL
1
VLL
2
MUG
1
MUG
2
PER
1
PER
2
VAR
1
VAR
2
MUG
1
MUG
2
22位 6

ドイツ・スーパーツーリング選手権 編集

チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 順位 ポイント
1995年 フォード・モンデオ チームウルフ フォード・モンデオ ZOL
1
ZOL
2
SPA
1
SPA
2
ÖST
1
ÖST
2
HOC
1
HOC
2
NÜR
1
NÜR
2
SAL
1

19
SAL
2

Ret
AVU
1

Ret
AVU
2

DNS
NÜR
1

21
NÜR
2

14
33位 16

ル・マン24時間レース 編集

チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回 総合順位 クラス
1995年   キャロウェイスポーツ株式会社   フランク・イェリンスキー
  ジョニー・アンサー
キャロウェイ・コルベット LMGT2 273 9位 2位

脚注 編集

  1. ^ 続出No.3ドライバーたち 1989 グランプリ・エクスプレス 1989ブラジルGP号 37頁 山海堂 1989年4月15日発行
  2. ^ バン・デ・ポールF1デビューならず コローニにはベルタッジア グランプリ・エクスプレス '89イタリアGP号 87頁 1989年9月30日発行
  3. ^ フットワーク・フォーミュラ F3000プレスリリース Motorsports Forum 1990年4月24日
  4. ^ 西日本F3000レース結果 モータースポーツフォーラム 1990年5月13日
  5. ^ Enrico Bertaggia” (英語). Super Touring Register. 2021年2月17日閲覧。
  6. ^ racingsportscars Le_Mans 24 1995”. 2021年2月17日閲覧。

関連項目 編集

タイトル
先代
ニコラ・ラリーニ
イタリアF3チャンピオン
1987年
次代
エマニュエル・ナスペッティ
先代
マーティン・ドネリー
マカオグランプリ優勝者
1988年
次代
デビッド・ブラバム