エールウィン (DD-47)

エールウィン級駆逐艦
艦歴
発注
起工 1912年3月7日
進水 1912年11月23日
就役 1914年1月17日
退役 1921年2月23日
その後 スクラップとして廃棄
除籍 1935年3月8日
性能諸元
排水量 1,156トン
全長 305 ft 3 in (93 m)
全幅 30 ft 4 in (9.2 m)
吃水 9 ft 5 in (2.9 m)
機関 重油専焼缶4基
最大速 29.5ノット (55 km/h)
乗員 士官、兵員89名
兵装 4インチ砲4門
30口径機銃2基
18インチ魚雷発射管8門

エールウィン (USS Aylwin, DD-47) は、アメリカ海軍駆逐艦エールウィン級駆逐艦の1隻。艦名は米英戦争で戦死したジョン・カッシング・エールウィン英語版に因む。その名を持つ艦としては2隻目。

艦歴 編集

エールウィンは1912年3月7日にペンシルベニア州フィラデルフィアウィリアム・クランプ・アンド・サンズ社で起工した。1912年11月23日にジョーゼフ・ライト・パウエル夫人によって命名、進水し、1914年1月17日に艦長リー・C・パーマー少佐の指揮下就役する。

キューバへの短期間の巡航に続いて、エールウィンはノーフォーク海軍造船所で予備役に置かれ、不活性化のまま1年以上保管された。1915年5月25日に再就役、大西洋艦隊水雷小艦隊第6分隊に配属される。その後東海岸沿いに巡航し、定期的にパトロールを行った。

1917年初頭にキューバ海域に向かい、冬季演習に従事、アメリカ合衆国第一次世界大戦参戦に従いバージニア岬沖に帰還した。1917年6月から1918年1月までマサチューセッツ州ボストンおよびロードアイランド州ニューポート沖で特別実験に参加した。

1918年1月4日にエールウィンはアイルランドクイーンズタウンに向けて出航した。到着後間もなくパトロールを開始する。しかしながら間もなくその任務を解かれ、イングランドポーツマスおよびデヴォンポートを拠点として対潜哨戒を行うイギリス軍部隊に加わった。

エールウィンは終戦後もヨーロッパ水域に留まった。1918年12月26日に軽巡洋艦チェスター (USS Chester, CL-1) と共にバルト海ドイツの港の視察巡航に向かった。連合国軍の海軍休戦委員会の指揮下で作戦活動に従事したエールウィンは、ドイツの港からアメリカ軍の戦時捕虜および市民を搬送した。1919年6月16日にエールウィンはフランスブレストを出航し帰国の途につき、10日後にニューヨークに到着した。その後フィラデルフィア海軍造船所に向かい、同地で予備役に置かれた。

不活性化状態の1920年7月17日にエールウィンは DD-47 の艦番号を与えられ、1921年2月23日に退役した。新たに建造される艦にエールウィンの艦名を与えるため、1933年7月1日に艦名が取り消された。その後は単に DD-47 と呼ばれるようになった。1935年3月8日に除籍され、ロンドン海軍軍縮条約の下スクラップとして売却された。

エールウィンの艦名は、1935年に就役したファラガット級駆逐艦の一隻であるDD-355に受け継がれた。

外部リンク 編集