オフラ・ハザ(עפרה חזה、Ofra Haza、1957年11月19日 - 2000年2月23日)は、イスラエル出身の女性歌手。伝統的な要素をミックスした曲調と歌声で、世界的な人気を得た。

オフラ・ハザ
(Ofra Haza)
出生名 Bat Sheva Haza
生誕 1957年11月19日
出身地 イスラエルの旗 イスラエルテルアビブ
死没 (2000-02-23) 2000年2月23日(42歳没)
イスラエルの旗 イスラエルラマト・ガン、シバ医療センター
ジャンル ワールドミュージック
ポップ・ミュージック
職業 歌手ソングライター
俳優
担当楽器 ピアノ
活動期間 1969年 - (音楽活動)
1979年 - 2000年
(ソロ活動)
レーベル Hed Arzi
EastWest Records
Shanachie
BMG
アリオラ・レコード
共同作業者 イギー・ポップ
サラ・ブライトマン
シスターズ・オブ・マーシー
トーマス・ドルビー
ブラックドッグ
ポール・アンカ
ルー・リード
公式サイト www.haza.co.il
墓地
子供時代を過ごした家に設置された銘板
ハティクバ地区の庭園にある記念碑

プロフィール 編集

テルアビブにて、貧しいイエメン系難民家族の9人兄弟の末娘として生まれる。プロのシンガーだった母からイエメンのフォークソングを学ぶ。このことが、シングル「Im nin' alu」など後に欧米で賞賛を浴びることになるイエメン・ソング誕生のルーツとなっている。12歳で地元ハティクバの劇団に入団し、7年間団員として数々のレコーディングを行った[1]

18歳でレコード・デビュー。2年間の兵役義務を終えた後、劇団に戻り、ソロ活動も開始。1983年のユーロビジョン・ソング・コンテストに出場し、2位になった[1]

1988年にリリースされたアルバム『Shaday』に収録された「Im nin' alu」は、ヒップホップ・アーティスト、エリックB&ラキムの「Paid In Full-The Coldcut Remix」やM/A/R/R/Sの「Pump Up The Volume 」にサンプリング・ソースとして使用されクラブシーンに浸透した。これを機に「Im nin' alu」がシングルカットされ、1988年4月に全英チャート15位(Music Week)を記録。1992年にリリースしたアルバム『Kirya』にはイギー・ポップルー・リードが参加。グラミー賞にノミネートされた[1]

アラビア語で歌っている楽曲も存在し、その影響からかアラブ圏でも大きな人気を得ていた。

1997年7月15日、ビジネスマンのドロン・アシュケナージと結婚[1][2]

2000年2月23日にエイズによる合併症のため逝去した。夫から感染したとも、流産した際の輸血が原因ともされる[2]。当時の首相エフード・バラックは「オフラはハティクバの貧民町から身を起こし、イスラエル文化の頂点を登り詰めた。彼女は我々全てに偉大な足跡を残してくれた」との言葉をもって、ハザの死に哀悼の意を表している。なお夫のアシュケナージも2001年4月、ドラッグオーバードースにより他界している[2]

ディスコグラフィ 編集

Shechunat Hatikvah Workshop Theatre 編集

  • 1974年 - Ahava Rishona (First Love)
  • 1976年 - Vehutz Mizeh Hakol Beseder (Aside From That All Is Ok)
  • 1977年 - Atik Noshan (Ancient Old)

ソロ・アルバム 編集

ベスト・アルバム 編集

  • 1987年 - Album HaZahav (Golden Album)
  • 1993年 - Oriental Nights

主なシングル 編集

  • イム・ニン・アル(1988年
  • アイ・ウォント・トゥ・フライ(1989年
  • ダウ・ダ・ヒヤ(1992年

脚注 編集

関連項目 編集

  • ABCミュージックパラダイス - 『Wish me luck』(アルバム『デザート・ウインド』収録曲)がオープニングテーマとして使われていた。2021年からの第2期放送でも引き続き用いられている。

外部リンク 編集