カジミエラス・ウオカ(Kazimieras Uoka、1951年3月4日 - 2016年7月16日)は、リトアニア政治家。リトアニア独立回復宣言書に署名したメンバーの一人。

カジミエラス・ウオカ
Kazimieras Uoka
生年月日 (1951-03-04) 1951年3月4日(73歳)
出生地 ソビエト連邦の旗 ソヴィエト連邦 リトアニア・ソビエト連邦社会主義共和国の旗 リトアニアSSR カウナス
没年月日 (2016-07-16) 2016年7月16日(65歳没)
出身校 ヴィリニュス大学
所属政党 社会民主党(1989年 - )
国民民主党(2001年 - )
民族主義連合(2004年 - )
祖国同盟(2008年 - )
民族主義連合(2011年 - )

選挙区 カイシェドリースエレクトレナイ選挙区(第59選挙区)[1]
当選回数 2
在任期間 1992年 - 1996年
在任期間 2009年 -
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経歴 編集

1969年、ヴィリヤンポレ中等学校を卒業。1976年ヴィルニュス大学歴史学部を卒業。

1969年より1971年までソヴィエト軍にて兵役。1988年6月より改革運動サユディスの幹部として活躍。1989年から1991年までサユディスの書記を務めた。

1988年、リトアニア労働者連合を設立し、1991年1月12日まで議長を務めた。1989年4月、リトアニア社会民主党の再結党に関わり、幹部を務めた。

2000年には「リトアニア緑の運動」のメンバーとなり、2001年リトアニア国民民主党党員、2001年から2002年まで国民民主党党首を務めた。2004年から2008年までリトアニア人民族主義連合の幹部を務めた。2008年より祖国同盟に所属。2011年、ソンガイラとともに祖国同盟を離党し、民族主義連合を結党。同連合副党首を務めた。

1992年から1996年まで、そして2008年から2012年まで、国会議員を務めた。

2016年7月16日、死去。

話題になった言動 編集

2010年5月、彼は同性愛者のデモ行進に反対する声明を発表。

同月9日に行われた「第二次世界大戦戦勝記念退役軍人パレード」にも反対した[2]

2011年3月11日のリトアニア独立回復記念日には、ネオ・ナチ的なデモ行進に参加した[3]

脚注 編集