カタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク

カタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク(ドイツ語:Katharina von Braunschweig-Lüneburg, 1395年 - 1442年12月28日)は、ザクセン選帝侯フリードリヒ1世の妃。

カタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク
Katharina von Braunschweig-Lüneburg
ザクセン選帝侯
カタリーナとフリードリヒ1世(19世紀画)
在位 1423年1月6日 - 1428年1月4日

出生 1395年
死去 1442年12月28日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領グリンマ英語版
結婚 1402年5月8日
配偶者 ザクセン選帝侯フリードリヒ1世
子女 一覧参照
家名 ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家
父親 ブラウンシュヴァイク=リューネブルクハインリヒ1世
母親 ゾフィー・フォン・ポンメルン
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生涯 編集

カタリーナはブラウンシュヴァイク=リューネブルクハインリヒ1世とその最初の妃ゾフィー・フォン・ポンメルン(ポンメルン公ヴァルティスラフ6世の娘)との間の唯一の娘である。

1402年5月8日に7歳でマイセン辺境伯継嗣であったフリードリヒ1世と結婚した。フリードリヒ1世は1423年に、断絶したアスカニア家のあとをうけてザクセン選帝侯となった。フリードリヒ1世は1425年フス戦争において、ブリュクスで軍の大部分を失った。フリードリヒ1世が留守の間、カタリーナは2万人からなる新たな軍を組織し支援に向かわせたが、1426年ウースチー・ナド・ラベムの戦いで敗北を喫した。

カタリーナは夫とともに住んでいたが、一人でいることの方が多く、ライスニヒ英語版ミルデンシュタイン城英語版で多くの時間を過ごした。ミルデンシュタイン城はザクセン選帝侯の第二の居城として発展していった。

子女 編集

参考文献 編集

  • Jens Kunze: Das Amt Leisnig im 15. Jahrhundert. Verfassung, Wirtschaft, Alltag. Leipziger Universitätsverlag, Göttingen 2007, p. 191.
  • Art. Friedrich I. (der Streitbare). In: Allgemeine deutsche Real-Encyklopädie für die gebildeten Stände. Conversations Lexikon. Bd. 5. F. A. Brockhaus Verlag, Leipzig 1844, p. 633.