カディマ(Kadimah、ヘブライ語: ‎קדימה, lit. Forwards)とは、テオドール・ヘルツルシオニズム運動の主要なスポークスマンになる何年も前に結成された、ウィーンで最初のユダヤ民族学生結社である。

シオニストのカディマは、1882年10月25日、モーゼ・シュナイアールーベン・ビエレルペレツ・スモレンスキンナータン・ビルンバウムらによって結成された。よく知られたメンバーには、ジークムント・フロイトイジドール・シャリートフリッツ・レーナー=ベーダらがいる。アンシュルスにより1938年に正式に解体したが、第二次世界大戦後の、1954年、テルアビブイグルにおいて宿老たちは、再び集った。

歴史 編集

カディマは、1882年10月25日にウィーンで結成され、1883年3月23日には正式に当局によって承認された[1]。したがって、結成の年はしばしば1882年と言及されることがあるが、 幾分かは1883年でもあると云える。カディマの会員カラーは、ゴールド・紫・アマランスで、続いて紫・白の色を用いていた。新しく加入したメンバーは、赤・紫の色を配したバンドを身に着けていた。当初、キャップの色は紫であり、1918年から黒、最終的な1928年からはダークブルーであった[1]

カディマのメンバーらにより、1891年にハスモナエア チェルノヴィッツ、1893年にモリア ヴィーン、1912年にバリシスィア ラダウツが、それぞれ結成された。カディマは、独墺合併により13日後の1938年8月に正式に解散した。

キフホイザー協会など幾つかの学生団体は、ユダヤ人の排除を始めていたというそのさなかカディマは、初のユダヤ民族の学生団体として浮上した。当初、ユダヤ人によって嘲笑されていたカディマであったが、その活動はシオニズム運動にささげられた。似た既存の団体であるホヴェヴェイ・ツィーオンがヨーロッパ中で活動していたが、カディマは、最初にユダヤ民族組織として骨を折ったと認められた。カディマは、テオドール・ヘルツルと後の政治的シオニズムの成功の基礎をもたらした。

メンバー 編集

創設者 編集

その他 編集

脚注 編集

  1. ^ a b Einst und Jetzt, 45 (2000), S. 121 ff.
  2. ^ Martin Freud: Sigmund Freud: Man and Father. Vanguard Press 1958, S. 165

参考文献 編集

  • Ludwig Rosenhek (Hrsg.): Festschrift zur Feier des 100. Semesters der akademischen Verbindung Kadimah 1883-1933. Wien 1933.
  • Harriet Zivia Pass: Kadimah – Jewish Nationalism in Vienna before Herzl. Columbia 1969.