カルガリー・フレームス

カルガリー・フレームス(Calgary Flames)は、カナダアルバータ州カルガリーを本拠としているナショナルホッケーリーグNHL)所属のプロアイスホッケーチームである。

カルガリー・フレームス
Calgary Flames
カンファレンス ウェスタン・カンファレンス
ディビジョン パシフィック・ディビジョン
創設年 1972年 (52年前) (1972)
歴代チーム名 アトランタ・フレームス(1972 - 1980)
カルガリー・フレームス
(1980 - )
ホームアリーナ スコシアバンク・サドルドーム
ホームタウン カナダの旗 カナダ
アルバータ州カルガリー
カルガリー・フレームスの位置(北アメリカ内)
1980-
1980-
1972-1980
1972-1980
チームカラー 赤、黄、白
     
メディア
オーナー カルガリー・スポーツ・アンド・エンターテインメント
GM ブラッド・トレリヴィング
ヘッドコーチ ジェフ・ウォード
キャプテン マーク・ジョルダーノ
獲得タイトル(獲得年)
スタンレーカップ優勝 (1回)
1989
アブコワールド (0回)
なし
カンファレンス優勝 (3回)
1986・1989・2004
ディビジョン優勝 (7回)
1988・1989・1990・1994・1995・2006・2019
プレジデンツトロフィー (2回)
1988・1989

歴史 編集

1972年、NHLはニューヨーク・アイランダースと共にアトランタ・フレームスの参入を発表した。「フレームス」の名前は南北戦争中の1864年のアトランタ方面作戦によるアトランタ炎上に由来する。

黎明期 編集

NHLが1972年からジョージア州アトランタにフランチャイズチーム(アトランタ・フレームス)を設立すると発表したとき、ホッケーファンの多数は、アメリカ合衆国南部にチームを作るなんて馬鹿げたことだと冷ややかな反応を示した。そしてこの反応はある意味で正解であった。フレームスは毎年リーグ最下位争いを演じ、アトランタに本拠地を置いた8期中プレイオフでは一度も勝利できなかった。

フランチャイズの移転 編集

1980年になると、アトランタの経済低迷を背景にしてチームはカルガリー資本へと売却され、チーム名がカルガリー・フレームスとなる。アルバータ州におけるチーム初年度は、ケント・ニールソン (Kent Nilsson) の49ゴールの活躍などがあり、プレーオフでは1回戦でシカゴ・ブラックホークスを下し、2回戦ではフィラデルフィア・フライヤーズを第7試合で破り、準決勝でミネソタ・ノーススターズ (現ダラス・スターズ) に敗れた。

1986年までにフレームスは、ダグ・ライズボロー(Doug Riseborough)、ラニー・マクドナルド (Lanny McDonald)、ダン・クイン英語版(Dan Quinn)やゴーリーマイク・バーノン(Mike Vernon)らを獲得。プレーオフ1回戦ではバンクーバー・カナックスを破り、2回戦でも第7戦でスティーブ・スミス (Steve Smith) の偶然のオウンゴールによりエドモントン・オイラーズに辛勝、またセントルイス・ブルースをも第7戦で下した。しかし、決勝では常勝モントリオール・カナディアンズには歯が立たず、1勝4敗で敗退した。

スタンレー・カップ初優勝 編集

1989年についにフレームスは、決勝でカナディアンズを下しスタンレー・カップ初優勝をかざり、キャプテン、ラニー・マクドナルドの引退に花を添えた。この優勝は、カナディアンズの本拠地でビジターチームが優勝を決めた初の例となった。当時の主力メンバーは、セオレン・フルーリージョー・ニューウェンダイクゲイリー・ロバーツアル・マキニス、マイク・バーノン。

低迷期 編集

その後7年連続でプレーオフ進出を逃し、1989年当時の主力が次々に他のチームに移籍または引退していった。その間に後に主力となるジャローム・イギンラ(Jerome Iginla)をドラフトで獲得した。イギンラは2003年前後にキャプテンとなった。イギンラは、元ナッシュビル・プレデターズトーマス・ヴォークーン(Tomas Vokoun)と喧嘩に近い状態になることが多かった。

復興期 編集

2004年復活を果す。この年は、カナダのチームとしては初めてウェスタン・カンファレンス3地区の優勝チームを軒並み下し、スタンレー・カップ進出を成し遂げた。ノースウェスト・ディビジョンのバンクーバー・カナックスを第7試合で、セントラル・ディビジョンのデトロイト・レッドウイングス (この年レギュラーシーズン最高成績チームに与えられるプレジデント・トロフィーを受賞)を第6試合で、そしてウェスタン・カンファレンス決勝ではパシフィック・ディビジョンのサンノゼ・シャークスを第6試合で連破し、スタンレー・カップ決勝ではタンパベイ・ライトニングと対戦した。

1993年以来自国チームのカップ獲得から見放されてきたホッケー大国カナダの国民は、まさに「シンデレラ物語」を地でいくフレームスに対し熱狂的な声援を送ったとされる。在ワシントンD.C.のカナダ大使館は、メープルリーフの代わりにフレームスの旗を掲げ、またサンノゼ市民会館でも同様の光景が見られたと伝えられる(このシリーズでシャークスが敗れると、サンノゼ市長はこの市民会館を「世界中のフレームスファンの総本山である」と宣言した。)。フレームスはもともとは保守的とされたサンノゼ市に熱狂をもたらした。

スタンレー・カップ決勝では、フレームスのホームでの第6試合で疑惑のノーゴール判定があったこともあり、決勝は第7戦までもつれ込んだ。第6戦で再延長戦を制したタンパベイ・ライトニングは、第7戦第2ピリオドまでフレームスに僅か7ショットしか許さない奮闘を見せた。フレームスは後半怒涛の攻撃を見せるが、やや遅きに失し2004年6月7日1対2で勝利を逃した。

この快進撃は、2003-2004年度中に獲得したミカ・キプラソフ(Miikka Kiprusoff)の活躍抜きには語れない。彼はサンノゼ・シャークスで、控え選手にもなれないほどだったが、2003年度中にトレードで移籍。ここから怒涛の快進撃を見せ、とうとう守護神のロマン・タレック(Roman Turek)をNHL引退にまで追いやった。

2004-2005年は2004年から2005年のNHLロックアウトでシーズンがなくなったが、翌2005-2006年には最優秀ゴーリーに送られるヴェジーナ賞を獲得した。このキプラソフの活躍で、2003-2004年以降はフレームスは必ずプレーオフに出ている。ちなみに2003-2004年に、ホーム用ジャージーとビジター用ジャージーが入れ替わったため、フレームスは新しいジャージーを発表した(赤ベースのユニフォームに黒いCが燃えている)。

レッド・マイル 編集

2004年フレームスが奇跡的な快進撃を見せる間、カルガリー市は100万人を超える住民がまさにフレームスブームに沸いた。同市歓楽街として知られる17番通り (17th Ave SW、ホームアリーナのサドルドームから西に延びる) には、試合終了後6万人ともいわれる赤色を身に着けたファンがあふれた。ここから、この通りは「レッド・マイル (The Red Mile) 」として知られるようになる。

レッド・マイルでのはしゃぎぶりには批判の声も多いが、その一方で、レッド・マイルパーティは世界的にその名を知られるようになり、各地の報道でも取り上げられるようになった。例えばサッカーにおける暴動のように、このような場面では群集が暴徒と化すこともあるが、レッド・マイルはそのような例は少なく、群集の行動はプラス方向であり逮捕者などもいないとされる。

シーズン別の成績 編集

アトランタ・フレームス時代 (1972年 - 1980年) 編集

GP W L T OL GF GA PTS 最終順位 プレイオフ
1972-73 78 25 38 15 - 191 239 65 ウェスト7位 不参加
1973-74 78 30 34 14 - 214 238 74 ウェスト4位 準々決勝敗退 (PHI)
1974-75 80 34 31 15 - 243 233 83 パトリック4位 不参加
1975-76 80 35 33 12 - 262 237 82 パトリック3位 初戦敗退 (LA)
1976-77 80 34 34 12 - 264 265 80 パトリック3位 初戦敗退 (LA)
1977-78 80 34 27 19 - 274 252 87 パトリック3位 初戦敗退 (DET)
1978-79 80 41 31 8 - 327 280 90 パトリック4位 初戦敗退 (TOR)
1979-80 80 35 32 13 - 282 269 83 パトリック4位 初戦敗退 (NYR)

カルガリー・フレームス時代 (1981年 - ) 編集

GP W L T OL GF GA PTS 最終順位 プレイオフ
1980-81 80 39 27 14 - 329 298 92 パトリック5位 準決勝敗退 (ミネソタ・ノーススターズ)
1981-82 80 29 34 17 - 334 345 75 スマイス5位 地区準決勝敗退 (VAN)
1982-83 80 32 34 14 - 321 317 78 スマイス2位 地区決勝敗退 (EDM)
1983-84 80 34 32 14 - 311 314 82 スマイス2位 地区決勝敗退 (EDM)
1984-85 80 41 27 12 - 363 302 94 スマイス3位 地区準決勝敗退 (WPG)
1985-86 80 10 31 9 - 354 315 89 スマイス2位 スタンレー・カップ決勝敗退 (MTL)
1986-87 80 46 31 3 - 318 289 94 スマイス2位 地区準決勝敗退 (WPG)
1987-88 80 48 23 9 - 397 305 105 スマイス1位 地区決勝敗退 (EDM)
1988-89 80 54 17 9 - 354 226 117 スマイス1位 スタンレー・カップ優勝
1989-90 80 42 23 15 - 348 265 99 スマイス1位 地区準決勝敗退 (LA)
1990-91 80 46 26 8 - 344 263 100 スマイス2位 地区準決勝敗退 (EDM)
1991-92 80 31 37 12 - 296 305 74 スマイス5位 不参加
1992-93 84 43 30 11 - 322 282 97 スマイス2位 地区準決勝敗退 (LA)
1993-94 84 42 29 13 - 302 256 97 パシフィック1位 カンファレンス準々決勝敗退 (VAN)
1994-95 48 24 17 7 - 163 135 55 パシフィック1位 カンファレンス準々決勝敗退 (SJ)
1995-96 82 34 37 11 - 241 240 79 パシフィック2位 カンファレンス準々決勝敗退l (CHI)
1996-97 82 32 41 9 - 214 239 73 パシフィック5位 不参加
1997-98 82 26 41 15 - 217 252 67 パシフィック5位 不参加
1998-99 82 30 40 12 - 211 234 72 パシフィック3位 不参加
1999-00 82 31 36 10 5 211 256 77 ノースウェスト4位 不参加
2000-01 82 27 36 15 4 197 236 73 ノースウェスト4位 不参加
2001-02 82 32 35 12 3 201 220 79 ノースウェスト4位 不参加
2002-03 82 29 36 13 4 186 228 75 ノースウェスト5位 不参加
2003-04 82 42 30 7 3 200 176 94 ノースウェスト3位 スタンレーカップ・決勝敗退 (TB)
2005-06 82 46 25 - 11 218 200 103 ノースウェスト1位 カンファレンス準々決勝敗退 (ANA)
2006-07 82 43 29 - 10 258 226 96 ノースウェスト3位 カンファレンス準々決勝敗退 (DET)
2007-08 82 42 30 - 14 229 227 94 ノースウェスト3位 カンファレンス準々決勝敗退 (SJ)
2008-09 82 46 30 - 6 254 248 98 ノースウェスト2位 カンファレンス準々決勝敗退 (CHI)
2009-10 82 40 32 - 10 204 210 90 ノースウェスト3位 不参加

スタンレーカップ戦績 編集

優勝 編集

1988-1989

準優勝 編集

2003-2004

外部リンク 編集