ガブリエル・クラメール

ガブリエル・クラメール (仏語: Gabriel Cramer、1704年7月31日 - 1752年1月4日) は、スイス数学者である。クラメールはジュネーヴで生まれ、早くから数学の才能を見せ、18歳で博士の学位を授与され20歳で数学の副主任となった。1728年、10年後にダニエル・ベルヌーイによって示された期待効用の考え方に非常に近いサンクトペテルブルクのパラドックスの解を求めた。

ガブリエル・クラメール
ロベルト・ガルデルによる肖像画
生誕 (1704-07-31) 1704年7月31日
スイスの旗 スイス ジュネーヴ
死没 1752年1月4日(1752-01-04)(47歳)
フランスの旗 フランス fr:Bagnols-sur-Cèze
居住 スイスの旗 スイス
国籍 スイスの旗 スイス
研究分野 数学物理学
研究機関 Académie de Calvin
ジュネーヴ大学
出身校 ジュネーヴ大学
主な業績 クラメールの公式
クラメールのパラドックス
プロジェクト:人物伝
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業績 編集

クラメールはその主要な業績を40歳代で公表している。1750年に出版された平面代数曲線に関する論文、"Introduction à l'analyse des lignes courbes algébraique" である。そこでは任意の位置・向きを持つ n 次の平面代数曲線が

 

個の点で定義される、ということを最も早期に示しており、その問題は今日、クラメールのパラドックスと呼ばれている。一方、クラメールの名に因むクラメールの公式はその論文の中で紹介されているが、コリン・マクローリンは同様の公式を1748年に公表している。

クラメールはベルヌーイ家の二人の長兄 (ヤコブ・ベルヌーイヨハン・ベルヌーイ) の業績を編集し、惑星の回転楕円体形状とその楕円軌道の物理的理由 (1730年)、そしてアイザック・ニュートンの3次曲線の扱い (1746年) について執筆した。クラメールはジュネーヴ大学の教授を務め、en:Bagnols-sur-Cèzeで死亡した。

クラメールは物理学者ジャン・クラメールアンヌ・マレ・クラメールの息子である。

 
Introduction à l'analyse des lignes courbes algébriques, 1750

参考文献 編集

  • W. W. Rouse Ball, A Short Account of the History of Mathematics, (4th Edition, 1908)

関連項目 編集

外部リンク 編集