ガルジュ=レ=ゴネス

フランスの都市

ガルジュ=レ=ゴネスGarges-lès-Gonesse)は、フランスイル=ド=フランス地域圏ヴァル=ドワーズ県コミューン

Garges-lès-Gonesse


行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) イル=ド=フランス地域圏
(département) ヴァル=ドワーズ県
(arrondissement) サルセル郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 95268
郵便番号 95140
市長任期 モーリス・ルフェーヴル
2008年-2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté d'agglomération Val de France
人口動態
人口 39,098人
2007年
人口密度 7,148人/km2
地理
座標 北緯48度58分00秒 東経2度25分00秒 / 北緯48.9667度 東経2.4167度 / 48.9667; 2.4167座標: 北緯48度58分00秒 東経2度25分00秒 / 北緯48.9667度 東経2.4167度 / 48.9667; 2.4167
標高 最低:34m
最高:80m
面積 8.45km2
Garges-lès-Gonesseの位置(フランス内)
Garges-lès-Gonesse
Garges-lès-Gonesse
公式サイト http://www.garges.net
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地理・交通 編集

パリ北部の郊外コミューンで、約15km離れている。

  • 道路 - D125、D84
  • 鉄道 - RER D線ガルジュ=サルセル駅。

歴史 編集

 
1870年頃の地図

ガルジュとは、抑留地を意味するゲルマン語のWardjaから派生している。

832年、ガルジュはGahareimの名でその存在が証明された。ガルジュは、当時大変な権力を持っていたサン=ドニ修道院に依存していた。王の直轄領であった時代もあり、ガルジュは常に一人の領主に属していたわけでなかった。

18世紀、ガルジュの土地のほとんどを、アルヌヴィル伯爵ジャン・ド・マショー(fr)が購入し、大きな変更を加えた。当時の村の収入は、ワイン生産、石膏採掘、そして工芸品の売買であった。

1814年から1815年、村は略奪され広範囲に破壊された。普仏戦争では、前哨戦でプロイセン軍がガルジュを占領したため、住民は村を捨てて逃げた。1866年と1872年の調査において、村の人口の約20%が失われていた。

20世紀初頭に行政区画が刷新され、村はパリ郊外のコミューンとなった。村の変化は1960年代に突然やってきた。近接するサルセルから拡大し、低所得者用集合住宅群がガルジュにも建てられたのである。かつては農地であった、現在のガルジュ=サルセル駅周辺には集合住宅が林立した。1958年から1969年にかけ、集合住宅の中でも最大級のものが、ローマ賞受賞建築家ノエル・ル・マレスキエの設計でラ・ダーム・ブランシュ地区に建てられた。当初の設計では7000世帯を収容するものだったが、事業は最終的に一部の4000世帯を完成させた。1950年代終わりから1970年代半ばまでに、合計で9500世帯用の集合住宅が完成した。

ヴュー・ペイ(Vieux-Pays)と呼ばれるかつての中心部は、現在の都市の中心部から東へわずかしか離れていない。

政治 編集

1995年まで、ガルジュ=レ=ゴネス市長を務めていたのはフランス共産党のアンリ・キュキアマンであった。彼の三期目の最終年は、前例のない不安定な情勢と並行していた。1994年3月と6月の2度、暴動が起きた。ネリー・オラン率いる地元共和国連合が、翌年の自治体選挙で勝利を収める要因となった。