キャロルハウス

アイルランド生産の競走馬

キャロルハウス (Carroll House) は、アイルランドで生産され、イギリスで調教を受けた競走馬。イギリス・イタリアドイツ・アイルランド・フランス日本の6か国で走り通算20戦7勝。1989年凱旋門賞 (G1) をはじめヨーロッパのG1を3勝、G2を1勝した。現役引退後種牡馬となり日本に輸出されたが、のちにアイルランドへ再輸出された。

キャロルハウス
欧字表記 Carroll House
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1985年3月5日
死没 2008年2月8日
Lord Gayle
Tuna
生国 アイルランドの旗 アイルランド
生産者 Mrs. P. Clarke
馬主 Antonio Balzarini
吉田善哉
調教師 Michael A.Jarvis(イギリス
競走成績
生涯成績 20戦7勝
獲得賞金 181,236ポンド+283,000マルク+
5,233,400フラン+190,400,000リラ
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※文中の馬齢は当時の日本で一般的であった数え年ではなく、現在使用されている方法に換算して表記する。

戦績 編集

2歳時の1987年にデビューし、2戦目に初勝利を挙げる。3歳ではクラシックの前哨戦を2戦した後、デルビーイタリアーノ(イタリアダービー)で2着。さらに準重賞を2勝し、秋にドイツのバーデン大賞でG1初勝利を挙げる。

4歳では3戦目にプリンセスオブウェールズステークス(G2)を勝ち、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスではナシュワンの5着[1]。秋にフェニックスチャンピオンステークス(現在のアイリッシュチャンピオンステークス)[2]を勝ち、大一番の凱旋門賞に出走。レースでは最後の直線でキャロルハウスが先頭に立ったが、3歳牝馬ベヘーラの進路をカットする形となった。不利を受けたベヘーラは体制を立て直してセントアンドリュースを交わして2着に入線したが、先頭を走るキャロルハウスには及ばなかった。降着になりかねない斜行であったが、長い審議の末にキャロルハウスの優勝が確定した[3]。その後、社台グループ吉田善哉が購入し、第9回ジャパンカップに出走するが、ホーリックスの14着(ブービー)に敗れる。

5歳でも現役を続行するが、2戦して7着、4着に終わり、現役を引退した。

種牡馬として 編集

1991年より社台スタリオンステーション種牡馬となる。産駒は1994年にデビューするが、同じ社台の種牡馬としての同期に期待のサンデーサイレンスジェイドロバリーがいたこと、また日本のスピード競馬に対応できなかったこともあって、重賞勝ち馬はエイシンサンサン小倉3歳ステークスGIII)1頭のみと期待外れの結果に終わり、1997年にアイルランドに再輸出された。なおエイシンサンサンはエイシンニーザンエーシンディーエスエイシンクリックの3兄弟を産み、これがキャロルハウスが母の父として名を残すケースのひとつとなっている。

グレード制重賞優勝馬 編集

  • 1992年産
    • エイシンサンサン(1994年小倉3歳ステークス)

地方重賞優勝馬 編集

母父としての主な産駒 編集

血統表 編集

キャロルハウス血統ロイヤルチャージャー系 / インブリード Fair Trial4×5、Hyperion4×5、Nearco5×5) (血統表の出典)

Lord Gayle 1965
黒鹿毛
父の父
Sir Gaylord 1959
鹿毛
Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Somethingroyal Princequillo
Imperatrice
父の母
Sticky Case 1958
栗毛
Court Martial Fair Trial
Instantaneous
Run Honey Hyperion
Honey Buzzard

Tuna 1969
栗毛
*シルバーシャーク
Silver Shark 1963
芦毛
Buisson Ardent Relic
Rose o'lynn
Palsaka Palestine
Masaka
母の母
Vimelette 1960
鹿毛
*ヴィミー
Vimy
Wild Risk
Mimi
Sea Parrot Ocean Swell
Precious Polly F-No.14

甥のフェニックスリーチ(2000年生、父アルハース)はドバイシーマクラシック香港ヴァーズに勝ち、2004年のジャパンカップに出走した(6着)。

脚注 編集

  1. ^ このレースの2着馬カコイーシーズと4着馬シェリフズスターはいずれも後に種牡馬として輸入された。
  2. ^ 1984年 - 1990年はフェニックスパーク競馬場で開催され、このレース名であった。
  3. ^ ベヘーラの馬主のアーガー・ハーン4世は、当時凱旋門賞の冠スポンサーであった「Ciga Weekend」のオーナーであり、つまり間接的にレースのスポンサーであった関係上、キャロルハウスを降着にしてベヘーラを繰り上げるのはいろいろと問題になりかねないという判断とも言われる。審議中騎手のマイケル・キネーンは顔面蒼白だったという。(田端到「パーフェクト種牡馬辞典」より。ただし、田端は文中でもベヘーラの単勝馬券を購入していたことを明らかにしており、文章も多少感情的な面が見受けられるが、他の文章でもキャロルハウスの斜行については触れられている。)

外部リンク 編集