キューバ侵攻(キューバしんこう、英語: Invasion of Cuba)はジェンキンスの耳の戦争中の1741年8月4日/5日から12月9日まで行われた戦闘。イギリスのエドワード・ヴァーノン英語版提督率いる艦隊とトマス・ウェントワース英語版少将率いる陸軍はキューバ沖に到着、カンバーランド湾に上陸して橋頭堡を築いた。大した抵抗を受けなかったにもかかわらず、2人ともサンティアーゴ・デ・クーバへの進軍の用意ができていないと考えた。結局、イギリス軍は数か月間行動を起こさず、ゲリラと疫病に悩まされたため撤退した。

キューバ侵攻

サンティアーゴ・デ・クーバのエル・モロ城、2009年撮影。
戦争ジェンキンスの耳の戦争
年月日1741年8月4日/5日 - 12月9日
場所サンティアーゴ・デ・クーバグアンタナモ湾
結果:スペインの勝利
交戦勢力
グレートブリテン王国の旗 グレートブリテン王国 スペイン スペイン王国
指導者・指揮官
グレートブリテン王国の旗 エドワード・ヴァーノン英語版 スペイン フランシスコ・カヒガル・デ・ラ・ベガ英語版
戦力
兵士4,000[1]
戦列艦9隻
フリゲートほか戦艦12隻
輸送船と倉庫船40隻[2][3]
兵士350
民兵600
艦隊の勢力は不明
損害
戦死、負傷、行方不明合計3,445[3] 死傷者400
戦艦拿捕3隻[4]

背景 編集

ヴァーノンは1741年のカルタヘナ・デ・インディアスの海戦カルタヘナを占領しようとしたが失敗した。彼の軍勢はすでに病気で弱まっており、士気も低かったが、彼はキューバ島の侵攻を決定した。キューバ島の南部と東部は人口が少なく、首都のハバナからも遠かったため入植が可能であると考えたのだった[5]

ヴァーノンの遠征隊 編集

ヴァーノンの遠征隊の中、陸軍はカルタヘナでの敗残兵であるイギリスと北米植民地軍3千と[6]ジャマイカの黒人1千だった。海軍は旗艦のボイン英語版カンバーランド英語版グラフトン英語版ケントモンタギュー英語版ティルベリー英語版ウスター英語版チェスター英語版タイガー英語版、20門艦エクスペリメント(Experiment)、20門艦シーアネス(Sheerness)、20門艦ショアハム(Shoreham)、臼砲艦アルダニー(Alderney)、火船フェートン(Phaeton)、火船ストロムボロ(Strombolo)、スループのボネッタ(Bonetta)、スループのトライトン(Tryton)、病院船プリンセス・ロイヤル(Princess Royal)、病院船スカーバラ英語版テンダーボートのポンペイ(Pompey)、そして陸軍を載せた輸送船40隻だった[7]

遠征軍はポート・ロイヤルを発ち、サンティアーゴ・デ・クーバを占領しようとした。

戦闘 編集

8月4日から5日にかけての夜、イギリス正規軍とジャマイカからの黒人軍1千はグアンタナモ湾の砂浜3か所に上陸した。抵抗を受けなかったため、上陸軍は行軍をはじめ、ラ・カタリナ(La Catalina)の集落に向かおうとしたが、3日後に目的地まで残り105キロメートルのところで指揮官のトマス・ウェントワース英語版少将が心細くなって進軍を遅くした。

サンティアーゴ総督フランシスコ・カヒガル・デ・ラ・ベガ英語版、駐留軍の指揮官カルロス・リバ・アゲロ(Carlos Riva Agüero)、現地の民兵隊の指揮官ペドロ・ゲレーロ(Pedro Guerrero)は正規軍350と民兵600しかなかったため撤退した。しかし、イギリス軍は疲れと疫病により動けず、4か月間も行軍を再開しなかった。その間にもスペインはゲリラ活動を続けた。ヴァーノンはウェントワースが行動を起こさないことに怒ったが、艦隊を危険に晒したくなかったため、艦隊に巡航を命じるに留まった。疫病に悩まされる兵士の数がだんだんと増えてしまったため(12月5日までに2,260人が熱病をおこした)上陸軍は撤退して乗船、12月9日の夜明けに出航して10日後にポート・ロイヤルに到着した。

その後 編集

ヴァーノン提督の遠征は多くの損害を出したが何の成果も出せず、彼の名声は地に落ちた。ヴァーノンは1742年に帰国を余儀なくされた[8]

脚注 編集

  1. ^ Beatson, Robert. Naval and Military memoirs of Great Britain from 1727 to 1783, London, 1801, Vol. I, p. 111.
  2. ^ Beatson, Robert. Naval and Military memoirs of Great Britain from 1727 to 1783, London, 1801, Vol. I, p. 112.
  3. ^ a b Marley, David (1998). Wars of the Americas; A Chronology of Armed Conflict in the New World, 1492 to the Present. California. p. 259 
  4. ^ Beatson, Robert. Naval and Military memoirs of Great Britain from 1727 to 1783, London, 1801, Vol. I, p. 115.
  5. ^ Pares, Richard. War and Trade in the West Indies, Oxford university press, 1936 ISBN 0-7146-1943-4, pp. 91-92.
  6. ^ Coxe, William. Memoirs of the kings of Spain of the House of Bourbon, Volume 3, London 1815, p.24 states that Havana is attacked by "...3,000 men, the discouraged and exhausted remnant of the troops which had been repulsed at Cartagena ..."
  7. ^ David Marley, Wars of the Americas; A Chronology of Armed Conflict in the New World, 1492 to the Present, California, 1998, p. 259.
  8. ^ Thomas Coke, p. 268.

参考文献 編集

  • Pares, Richard. War and Trade in the West Indies, Oxford university press, 1936 ISBN 0-7146-1943-4
  • Richmond, H.W.. The Navy In the War of 1739-48, Vo; 1. Cambridge University Press, 1920.
  • David E. Marley, Wars of the Americas; A Chronology of Armed Conflict in the New World, 1492 to the Present ABC-Clio Inc, 1998 ISBN 0-87436-837-5
  • Beatson, Robert. Naval and Military memoirs of Great Britain from 1727 to 1783, London, Vol. I and Vol. III, 1801.
  • Coke, Thomas. A History of the West Indies: Containing the Natural, Civil and Ecclesiastical History of Each Island, London, 1810. OCLC 3865212