ギブラン・ハムダン(Gibran Latif Hamdan 1981年2月8日- )はカリフォルニア州サンディエゴ出身の元アメリカンフットボール選手。現役時代のポジションはQB

ギブラン・ハムダン
Gibran Hamdan
基本情報
ポジション クォーターバック
生年月日 (1981-02-08) 1981年2月8日(43歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州サンディエゴ
身長: 6' 4" =約193cm
体重: 220 lb =約99.8kg
経歴
大学 インディアナ大学
NFLドラフト 2003年 / 7巡目全体232位
初出場年 2003年
初出場チーム ワシントン・レッドスキンズ
所属歴
ワシントン・レッドスキンズ(2003年)
サンフランシスコ・フォーティナイナーズ(2006年)
シアトル・シーホークス(2006年)
バッファロー・ビルズ(2007年-2009年)
NFL 通算成績
通算パス獲得ヤード 7ヤード
通算パスタッチダウン 0回
QBレイティング 58.3
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

経歴 編集

プロ入りまで 編集

ハムダンの母親は16歳のときにパキスタン出身でパレスチナ人イリノイ大学に所属している原子力技術者の父親と結婚した。サンディエゴで彼は生まれたが3歳のときに一家はクウェートに移った[1]

彼が9歳の時、イラクのクウェート侵攻があり、その時一家はバカンスをサンディエゴで過ごしていたがクウェートにある家も財産も全て失い[1]、一家はそのままアメリカに留まることを決めメリーランド州ポトマックに居住するまで母親が散髪をして一家を支えた。

ハムダンはバージニア州の高校に進学しそこで先発QBとなり、バージニア州北部地区のパス獲得ヤードリーダーとなった。またバスケットボールセンターとしてもプレイし、野球では15歳以下のアメリカ合衆国代表にも選ばれた。

インディアナ大学に進学し野球では3年次に.335の打率を残したが彼はアメリカンフットボールを選び3年間はアントワン・ランドレルの控えに甘んじた彼は4年次にパス293本中152本成功、2115ヤード、9タッチダウンの成績を残した。彼の獲得ヤードは大学史上7位のものとなりウィスコンシン大学戦でパス36回中24本成功、310ヤード4タッチダウンの成績を残し32-29で勝利した週にはビッグ・テン・カンファレンスの週間MVPに選ばれた。

NFL 編集

2003年のNFLドラフトで彼はワシントン・レッドスキンズから7巡目全体232番目で指名されて入団した。ロースターには2人のQBしか残れないため彼は最初の10週は練習生として在籍しその後ロースターに加わった。12月27日のフィラデルフィア・イーグルス戦でデビューし2回中1本のパスを成功し7ヤード獲得がこの年の成績であった。翌年春NFLヨーロッパに派遣された彼はクリント・ストーマーの控えQBとなった。9月のトレーニングキャンプで彼はチームからカットされた。

2005年にシアトル・シーホークスと契約しNFLに復帰した彼は再びNFLヨーロッパに派遣されアムステルダム・アドミラルズ英語版カート・キトナーとの先発争いに勝ったが鎖骨を骨折しシーズンを終えた。4試合に出場し75本中39本のパスを成功556ヤード獲得、タッチダウンパス5、インターセプト2の成績を残した。彼はトレーニングキャンプ中にまたしてもカットされた。

2006年1月彼はシーホークスと再度契約を結び3年連続でNFLヨーロッパに参加することとなった。7試合目で足首を痛めてシーズンを終えたが彼はリーグのパス獲得ヤードリーダーとなり最優秀攻撃選手に選ばれた。7試合に出場した彼は162本中102本のパスを成功、1629ヤード獲得、12タッチダウン、インターセプト3の成績を残した。NFLヨーロッパ記録となるQBレイティング113.4の成績であったがそれでもシーホークスのロースターには残れず2006年8月28日にウェーバー公示された。サンフランシスコ・フォーティナイナーズが彼と契約したが同年9月3日にカットし練習生として再契約を結んだ。その後10月24日にマット・ハッセルベックが負傷したシーホークスと契約を結び12月5日にカットされ練習生とされるまで6試合ロースターに名前を連ねた。

シーホークスとの契約が2007年1月に切れると2月6日に彼はマイアミ・ドルフィンズと契約しベテランのトレント・グリーン、4年目のクレオ・レモン、ドラフト2巡指名のジョン・ベックとトレーニングキャンプで先発の座を争ったがプレシーズンの9月1日にカットされた。9月26日に先発QBのトレント・エドワーズが負傷したバッファロー・ビルズが彼と練習生として契約、10月19日にはクレイグ・ノールがカットされて彼はチームの第3QBとなった。11月4日のシンシナティ・ベンガルズ戦でエドワーズが負傷退場すると彼は控えQBとして出場を果たした。

2009年、制限つきフリーエージェントとなった彼は2月26日にビルズと再契約を結んだが11月19日にチームがブライアン・ブロームを獲得したためウェーバーされグリーンベイ・パッカーズのプラクティス・スクワッドとなった[2]。QBのライアン・フィッツパトリックやコーナーバックのテレンス・マギーが故障者リスト入りしたため12月22日にビルズと再び契約を結んだ[3]

2010年、CFLトロント・アルゴノーツと契約を結んだ[4][5]。この年の6月アルゴノーツのミニキャンプで先発QB争いをしていたが突如現役引退を発表した[1]

私生活 編集

ミネソタ・バイキングスウィニペグ・ブルーボマーズのヘッドコーチを務めたバド・グラント英語版の孫娘と結婚している[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d Argos' QB race wide open as Hamdan quits”. nationalpost.com (2010年6月5日). 2010年9月17日閲覧。
  2. ^ More QB changes as Bills sign Brohm”. バッファロー・ビルズ (2009年11月19日). 2010年2月13日閲覧。
  3. ^ Bills resign Hamdan”. バッファロー・ビルズ. 2010年2月13日閲覧。
  4. ^ ARGONAUTS LAND FORMER BILLS THIRD-STRING QUARTERBACK HAMDAN”. TSN (2010年3月10日). 2010年9月17日閲覧。
  5. ^ Argos Ink Deal With QB Gibran Hamdan”. oursportscentral.com (2010年3月10日). 2010年9月17日閲覧。

外部リンク 編集