クラレンス・エドワード・ダットン

アメリカ合衆国の地質学者(1841-1912)

クラレンス・エドワード・ダットン(Clarence Edward Dutton、1841年5月15日 - 1912年1月4日)はアメリカ合衆国地質学者アメリカ陸軍軍人である。

クラレンス・エドワード・ダットン
Clarence Dutton.
生誕 (1841-05-15) 1841年5月15日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 コネチカット州
死没 (1912-01-04) 1912年1月4日(70歳没)
研究分野 地質学
研究機関 アメリカ地質調査所
出身校 イェール大学
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

人物・生涯 編集

コネチカット州ウォーリングフォード (Wallingford) で生まれた。

1860年にイェール大学を卒業した後、南北戦争に参加した。

1875年にアメリカ地質調査所で地質学者として働き、コロラド高原などを調査し、ユタ州地質グランド・キャニオン地史、1886年のサウスカロライナ州チャールストンで起きた地震に関する研究などを発表した。アメリカ地質調査所の火山部門を率いて、ハワイ諸島カリフォルニア州オレゴン州火山の研究を行った。1887年にメキシコソノラ地震の調査隊の支援をおこなった。1884年にアメリカ科学アカデミーの会員に選ばれた。1886年にアメリカ地質調査所の調査隊を率いオレゴン州のクレーターレイクを調査し、その水深を608mと測定した。

1889年に1850年代にジョン・ヘンリー・プラットジョージ・エアリーが提案した、地殻内のバランスに関する仮説にアイソスタシー用語を提案したことで知られる。1891年にアメリカ地質調査所を退職し、陸軍で10年ほど働いた。その後地質学の研究に戻った。

関連項目 編集

脚注 編集