クラーゲリョークラーゲレークラーゲロなどとも、Kragerø Krageroe.ogg 発音[ヘルプ/ファイル]))は、ノルウェーテレマルク県の町・自治体である。Vestmar地区に属する。クラーゲリョー自治体の行政の中心地はクラーゲリョー町である。県の南端に位置する。自治体の面積は305 km2[1]、人口は10,505人(2023年[2])。

クラーゲリョー
都市
Kragerø kommune
クラーゲリョーの紋章
徽章
クラーゲリョーの公式ロゴ
ノルウェーにおける
テレマルク県の位置
テレマルク県におけるクラーゲリョーの位置
テレマルク県におけるクラーゲリョーの位置
座標: 北緯58度53分13秒 東経9度20分49秒 / 北緯58.88694度 東経9.34694度 / 58.88694; 9.34694座標: 北緯58度53分13秒 東経9度20分49秒 / 北緯58.88694度 東経9.34694度 / 58.88694; 9.34694
 ノルウェー
テレマルク県
地区Vestmar
市役所クラーゲリョー
行政
 • 市長 (2015年現在)Jone Blikra (ノルウェー労働党)
面積
 • 計305.46 km2
 • 陸地288.63 km2
人口(2023)
 • 計10,505人
 • 密度34人/km2
等時帯中央ヨーロッパ時間UTC+01:00
 • 夏時間(DST中央ヨーロッパ夏時間UTC+02:00
ISO 3166コードNO-4014
公用語ニュートラル
ウェブサイトwww.kragero.kommune.no
Statistics Norwayのデータ

概要 編集

ロンドンの「インデペンデント」紙は、クラーゲリョーについて、「ノルウェーの人は、日常から逃げ出したい時、必ずクラーゲリョーに行く。森、フィヨルド、島が、彼らを待っている。エドヴァルド・ムンクが平安と安らぎを見出した場所でもある。」と紹介している[3]。夏の間、観光客の流入により、クラーゲリョーの人口は4倍にも達する。画家ムンクは、クラーゲリョーを愛し、「海沿いの町の真珠」だと呼んだ。「インデペンデント」紙の記事は、「砂浜のビーチは多くはないが、ノルウェーの海岸は、洗練された、感動的な景観を見せてくれる。」という[4]

地名 編集

古ノルド語での形はKrákareyである。語頭は、krákaカラス)の属格と思われ、語尾はey(島)である。Kragerøデンマーク語形であり、17世紀に定まった。

紋章 編集

紋章は、近代になってからのものである。1938年1月28日に定められた。黒の盾に、シルバーのガレー船である。クラーゲリョーは、1666年に都市特権を与えられたが、1842年まではシーエンに従属していたことから、紋章もシーエンと同じものを使っていた。ガレー船が描かれているのは、1666年以降、クラーゲリョーが国王にガレー船1隻と銃5丁を納めなければならないとされていたことに由来する。

沿革 編集

帆船の時代は、クラーゲリョーはノルウェーでも最大級の港町の一つであった。クラーゲリョーの町は、1838年1月1日、自治体となった。1960年1月1日、SannidalおよびSkåtøyの各自治体がクラーゲリョー自治体に合併された。

地理 編集

 
クラーゲリョーの島部

クラーゲリョーは、テレマルク県の南端の自治体である。南西はアウスト・アグデル県リーソー英語版に接し、西は同県Gjerstadに接し、南西はDrangedal、北東はBambleに接する。クラーゲリョーは、ノルウェー人の間で、夏の休暇を過ごす場所として人気がある。

495の大小の島があり、4000軒のレジャー・ハウスがある。190の淡水湖を有する。

自治体内の村として、Helle、Sannidal、Skåtøy、Stråholmen、Jomfruland、Portørがある。

著名な出身者 編集

 
クラーゲリョー教会

姉妹都市 編集

脚注 編集

  1. ^ 09280: Areal av land og ferskvatn (km²) (K) 2007 - 2023”. Statistisk sentralbyrå. 2023年5月13日閲覧。
  2. ^ 07459: Alders- og kjønnsfordeling i kommuner, fylker og hele landets befolkning (K) 1986 - 2023”. Statistisk sentralbyrå. 2023年5月13日閲覧。
  3. ^ “Norway's seaside special”. London: The Independent. (2004年4月24日) 
  4. ^ Mulholland, Siobhan (2002年7月27日). “Is this the coolest Riviera?”. London: The Independent 

外部リンク 編集